« 大阪砲兵工廠跡 その1 | トップページ | 雪の越中・五箇山 »

大阪砲兵工廠跡 その2

その1からの続きです。

Photo_130砲兵工廠跡の俯瞰

天守閣東の石垣から俯瞰してみました。北はOBP、東は公団の高層住宅の向こう側と、その広さに驚愕するとともに、当時6万8千人の人々が働いていたという事実は想像の域を超えています。下請けも含めるとさらに膨大な人々が地方から就職、あるいは強制連行されて働いておられたのでしょう。それらの人々にも人生のドラマがあっただろうし、また終戦前日の空襲で多くの犠牲者が出たことに胸が痛みます。戦争の悲劇は過去のものではなく、今も世界のどこかで行われているのですね。 Photo_133

砲兵工廠・荷揚げ門

大阪城ホール北西、第二寝屋川に面したところに石造りの荷揚げ門があります。運河を通って大量の物資が行き来したことが偲ばれますが、今では立入禁止で草がぼうぼうに生えています。この日はなぜか猫が番をしていました。第二寝屋川(平野川)は今は悪臭こそしないものの、その黒々とした水に人々の情念がこもっているような気がしてなりません。

弁天橋付近

Photo_134 ホテルニューオータニの横を通って弁天橋まで行けばJR環状線に突き当たります。環状線は全周高架なのですが、砲兵工廠を覗かれないようにするため、森ノ宮~京橋間は当時から高架ではなく地上を走らされていたそうです。ここからJRの線路をくぐり「クレア大阪東」方面に抜ける道があります。ガードが頭上に迫り、電車が通ると少しひるんでしまう道です。敗戦後この付近に鉄屑を集めて生計を立てる人々が集まりました。夜な夜な埋もれた鉄屑を求めて廃墟と化した砲兵工廠跡に忍び込み、警察と衝突したり、電車にはねられたり、川に落ちたりして命を落とされた方が何名かおられたようです。開高健の「日本三文オペラ」、梁石日の「夜を駆けて」などの小説のモデルとなりましたが、戦後の繁栄の陰にはそのような歴史があったこともきちんと学んでいきたいものですね。。。

Photo_135

JR京橋駅・南口

疎開道路を北に向かいます。昔ながらの下町の商店街は都市計画道路の拡張でほとんど姿を消しています。流れのない鉛色の寝屋川を渡り、京橋駅南口に来ると、ガード下に慰霊塔があります。終戦前日に駅のホームにも1トン爆弾が落とされ、7百名以上の方が亡くなられた・・と書いてありました。そのうち身元が判明したのは名札をつけていた2百数十名だけだったとか。。。戦争には正義はないのだ・・とつぶやきながら手を合わせました。慰霊碑の上を走る電車では、今日もジーンズをズリおろし、行儀悪く足を広げた若者が、周囲に気遣うことなく2人分の座席を占領しているのでしょうか。

少し歩けば40階建ての高層マンションがあり、趣のある煉瓦塀がウリのひとつになっています。でもそれは昔の廃墟の名残なのでしょうか(新装されていますが・・・)。

Photo_137

大阪(難波)は古代より被害者でもあり加害者でもあるのだ・・・そう感じながら歩いていると、今は閉じられている歯科医院を見つけました。後ろを振り返ると、古い歯科医院の上に、蒼天に向かって高層マンションが屹立し、その対比をどうとらえればいいのだろうと考えてしまいました。

|

« 大阪砲兵工廠跡 その1 | トップページ | 雪の越中・五箇山 »

なにわの風景」カテゴリの記事

コメント

絵葉書大阪城真西内堀水面を渡るパイプ橋は?、廠友会発行 表門、溶鉄池、伏見櫓、工廠工場の発行時期は?、作業員が転落された時期はそれ以前、水道管鋳造中かも、ご存知の方はお知らせを期待します。 hp jm3gvh検索 鳥瞰図に水道アンテナ低山を見る 自作本 水道鳥瞰図絵葉書博物館第2回改訂版。

投稿: jm3gvh | 2015年5月27日 (水) 08時11分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大阪砲兵工廠跡 その2:

« 大阪砲兵工廠跡 その1 | トップページ | 雪の越中・五箇山 »