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亡き友を偲んで・・・

中高時代の級友の一人が壮烈な闘病生活の末、ついに力尽きてしまったのが2年前のお盆の日でした・・・。

僕らの中高は1学年100人足らずの2クラスでしたから、ほとんどの同級生と一度は同じクラスになります。彼はバンド活動、生徒会、野球、競馬の予想、喫茶店通いをやりながらもコツコツ勉強し、下町の素朴な兄ちゃんという風体に似合わず、成績は常に全国トップクラスでした。当然文系の最高峰に余裕で合格したのですが、法曹界や官僚というエリートコースに背を向け、専門課程は彼が本当に好きだった独文学の道を選択しました。

社会の隅々までの平等を求めての回り道でしたが、母校は在野に下った彼を大阪から呼び戻し、助教授として迎え入れました。さぁこれから独文学界での活躍を・・という矢先の早すぎる旅立ちは、40を過ぎてから授かった2人のお嬢ちゃんの父親として、なんと残酷な運命であることか・・・。

Photo 悲報はメーリングリストなどを通して同級生に知らされました。驚きと悲しみと、そしてやりきれなさが充満し、ご両親を案じ、ご家族の行く末を心配し、そして彼を偲ぶ追悼文集を作ろう・・と、どこからともなく声があがりました。

たびたび開かれた編集会議や頻繁なメール交換で、幾度にもわたるレイアウト変更、原稿の入力、仮刷り、推敲、資料集めが行われました。そしてようやく出版社へ持ち込んでの文集「風信子」に詰められた思い、それは50才近い同級生達が、自分の人生に突きつけられた命題に対して、立ち止まりながら振り返りながら考え抜いた回答ではないでしょうか。そして30年ぶりの共同作業は、亡き友の導きによるものだと、誰もが思っていました。

「風信子」それは通信添削のZ会の旬報に何度も載った亡き友のペンネームで、ヒアシンスの別名です・・・。彼は我々の誇りでした。

Photo_2 3回忌を前に、世話役数名で東大阪のご両親のもとを訪れました。華美な装飾が一切なく、それでいて懐かしさのある落ち着いた玄関先に、ひっそり咲いていた小さな花が印象的でした。

背中を丸め、細い指先で震えるように文集をめくられていたご両親を見ると、溢れそうになる涙で目が霞んでしまいます。私はそれをこらえるようにしばしの間、天井を見つめていました。

Photo_4 昔懐かしい家で過ごした数十分の間、色白の笑顔の彼がすぐ側にいるような気がしました。夏の風が部屋を吹き抜けるたび、ペンの力で社会の弱者を救おうとした彼の気概が垣間見えたような、昼下がりのヒトコマでした。

合掌・・・。

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コメント

岡山県在住、50 歳代中盤の内科医です。
最近、昔のことを思い出すことが多くなりました。
これもトシをとったせいでしょう。

私くらいのトシで高校時代、Z 会の問題に頭をひねっていた人間の中で、「風信子」は一種の偶像でした。
「なんという秀才なんだろう」、「いや、実は通添にばかり力を入れて、実はそんなに秀才ではないかも?」などと、憧憬とある種の嫉妬の入り交じった複雑な感情で、その風雅なペンネームを眺めていました。

あれから既に 40 年近い歳月が流れました。
ずっと私の心の中に「風信子」は生き続けていました。

「風信子 Z 会」でググったらきっと何かわかるかもしれない...
ネット時代に入り、ずっとそんな欲求と戦ってきました。

では、なぜ今に至るまで検索しなかったのでしょう?
それは「風信子」という偶像を自分の心の中で壊したくなかったからです。

もし検索して、「風信子」がただのつまらない中年になっていたら...
そんな結末を避けたかったんだと思います。

今日、やっと検索する決心がついてここにたどり着きました。

一言、

「検索してよかった。風信子は私が受験生の頃、さんざん想像していた、いやそれ以上の存在だった。でなければ亡くなった後、こうして同級生の方々がこんな文集を作ってくれるわけがない」

今日という日は私にとり、格別な日となりました。
お礼申し上げます。

投稿: mt | 2013年8月27日 (火) 14時56分

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