« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月24日 (火)

100名城踏破に挑戦しよっかな。。。

もともと歴史や文学が好きで、高校では理系受験クラスでありながら、もっぱら国語と社会で点数を稼ぎ、物理と化学でおもいっきり平均点数を下げていたワタシです。

そんなワタシが中学時代から愛読していたのが司馬遼太郎です。今年も司馬氏の命日である菜の花忌も過ぎ、通勤電車の車窓からは満開の梅の木も見かけ、少しずつ春めいてきました。

Sirowoaruku そういえば電車内ではいつも本を読んでいたのに、最近はあまり読まなくなりました。

4年前に体調を崩してから、揺れる本をうつむき加減に読むのが、どうも苦痛になっているようです。最近の車内風景を見て思うのですが、起きている人の半数は、ケータイやゲームを楽しんでいるのではないでしょうか?

そんなおり、書店で「司馬遼太郎と城を歩く」-光文社文庫-を見つけ、読み始めています。

今年も研修会や学会などで、博多や東京にたびたび行くことになりますが、そのついでに日本100名城を踏破してみようかな?・・・と考えています。例えば東京の帰りに寄り道して、甲信越や東海地方の城跡を訪ねるとかですね。

この日本100城ですが、北海道と沖縄から3つずつ選ばれているのが、ワタシにとってひとつの壁ですね。基本的に飛行機には乗りたくないヒトですからwwww。

Nihonsiro さて日本の城といえば、石垣に漆喰の白壁の近世城郭を想像されると思いますが、現存する立派なお城のほとんどが徳川政権の息がかかっていたか、許しを得て建てられたものかなんですね。

あの大坂城も秀吉時代のものではなく、西国に睨みをきかすために家康が建て直したものです。江戸時代の古地図では、大坂城は葵紋に「御城」と書かれています。

話はズレますが、100名城には佐賀県の吉野ヶ里遺跡なども含まれています。武士政権のものだけではないんですね。

ここで新星出版社「日本の城」という本を紹介します。マンガチックな表紙とは裏腹に、中身はキレイな写真とイラストで、日本の城の歴史や構造が解説されています。とても読みやすく、どの年代の方にも結構オススメですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月16日 (月)

高取城 その2(大手門~天守)

前回の記事の続きです。

いよいよ高取城の中枢部に入っていきますが、細い山道を登ってきた身にとっては、お城の規模の大きさは想像を超えるものでした。千早門を過ぎ、右から壷坂口門からの道と合流すると大手門です。壷坂口の方は近くまでなんとか車で来ることができるそうですが、数台くらいしか駐車できないそうなので、観光シーズンは避けた方が無難でしょう。

Cggraph3 この写真は奈良産業大学高取城CG再現プロジェクトから拝借しました。

http://www.nara-su.ac.jp/archives/takatori/index.php

このCGは昔の写真から推定して作られたものだそうです。写真が掲載されている高取城ガイドのHPも役に立ちますよ。

http://www.takatori-guide.net/key_shiro.html

Takatori10_3 十三間門、十五間門、下ノ門、上の門を過ぎると、ようやく本丸に到着です。それでも虎口には三ヶ所ほどの門がありますから、ゲームでいえば、天守に辿り着くまでステージ15ほどこなさないといけない感じですかね。といってもワタシはほとんどゲームをしませんが。。。。

写真は本丸跡から多聞櫓を見下ろしたところですが、その整然とした石垣の見事さは、さすが徳川系列の城郭ですね。まぁそのために幕末に十津川郷士や天誅組に攻められましたが、どうやって攻め落とすの??という難攻不落のお城ですので、ビクともしなかったそうです。

Takatori8 高取城は日本100名城に選ばれるくらい立派な城址なのですが、アクセスが悪いためか、また冬という季節のためか、数組の登山客しか出会いませんでした。

そのうちの老夫婦です。出発前の柔軟体操のようですね。共通の趣味を持っておられるのはとても素晴らしいなと眺めていました。

山城を見に行くには、草木が枯れる冬場がいいそうです。夏だと緑や生き物のパワーに圧倒されそうですよね。

Takatori11 Cggraph2

写真は本丸に上がる前の虎口の石垣です。CGの赤←のところですね。

安土桃山時代のお城と違って、石垣の石はキレイに揃えられています。しかし自然の力というか、お城は廃城してから150年ほどの間に再び森に戻ろうとしています。

石垣に食い込むように容赦なく木々が生え、広い場所を得た杉の木は大木になりつつあります。奈良盆地と吉野を結ぶ交通の要所だったのですが、その機能は山麓のトンネルに取って代わり、よほどのお城好きくらいしかここまで足を運びません。

Takatori14 石垣の崩壊は自然にまかせた方がいいのかな・・・と思いつつ、下りは飛鳥方面のルートをとりました。

飛鳥川には注連縄(しめなわ)がかけられていました。栢森の綱掛神事というのだそうで、上流の女綱、下流の男綱で、川や道を伝ってくる邪悪なものを押しとどめるのが目的だそうです。

写真は下流側の稲渕地区の男綱です。そういえば最近は各家にかけるお正月の注連縄も減ってきましたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月13日 (金)

高取城 その1(黒門~大手門)

Takatori1 もし知り合いに奈良市民がおられたら、「奈良県内で日本100名城のひとつに選ばれたお城はどこ?」といっぺん聞いてみてください。

大和郡山城ちゃうのん?」という答えが一番多いのではないでしょうか。「それは高取城やね。paper」と正解できる人は案外消費税の税率以下かもしれません。ひょっとしたら「奈良県にお城ってあったっけ?」と言われるかもしれません。まして実際に高取山山頂の城址まで行ったことがある人となると、さらに少なくなるでしょう。

上子島の集落を抜けて本格的な山道に入る頃に高取城址の石碑が見えてきます。ここからは七曲がり一升坂などの急勾配の道が続いて高度をかせいでいきます。

Takatori2 高取城は石垣しか残っていないのが、かえって蒼古としていていい。その石垣も数が多く、種類も多いのである。登るに従って、横合いから石塁があらわれ、さらに登れば正面に大石塁があらわれるといったぐあいで、まことに重畳としている。それが、自然林と化した森の中に苔むしつつ遺っているさまは、最初にここにきたとき、大げさにいえば最初にアンコール・ワットに入った人の気持ちがすこしわかるような、一種のそらおそろしさを感じた。

 -司馬遼太郎・街道をゆく-

200mの標高差を一気に登ると、道の左手に猿石が出迎えてくれます。この石はもともと飛鳥にあったものだそうで、石垣に使うために運び込まれたとも言われています。

Cggraph_2 猿石まで登れば、お城の入り口の二の門はすぐそこです。写真は奈良産業大学の高取城CGプロジェクトから拝借して編集しました。

このHPはとても素晴らしい出来映えで、かつての荘厳さをしのばせるには十分な資料となりますね。

http://www.nara-su.ac.jp/archives/takatori/index.php

三の門を過ぎ、矢場門の手前を右折すると、国見櫓があったところです。

Takatori3 眺望のきかない森の中をずっと歩いてきたせいか、この国見櫓跡に立つと、あまりの景色の美しさに言葉を失ってしまいます。

写真のように奈良盆地内だけではなく、二上山北の鞍部からははるか大阪平野も望めます。

理論では大坂城も見えるそうなので、要衝としての価値はとても高かったのでしょう。

http://www.takatori-guide.net/img/viewmap_mini/shiro_viewpossible.html

Takatori5 次から次に苔むした石塁が現れる山道を行き、松の門宇陀門千早門を過ぎると、ようやく大手門に着きます。

山ふもとの黒門から数えれば、なんと7つ目の門なんですね。いかに難攻不落の城であったかがよくわかります。

さてここからやっとお城の中枢部に入っていきます。

続きは次の記事で。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月12日 (木)

薬の町・高取

奈良県の県庁所在地は言わずもがな奈良市です。ところが奈良市は奈良県の最北端に位置しているので、奈良市以外の住民にとっては県庁などに行くのが面倒です。

ワタシは奈良市で生まれ育ち、高校まで奈良市内に通学していたので、逆に奈良市以南の地域には縁遠かったのです。大阪や京都に行く方が、はるかに頻度が高く、お隣の大和郡山が城下町であることを確認したのも中学生の頃でした。

Tosa1_2 そんなこともあって高市郡高取町という地域には同級生がいたり、吉野に行くときに通過したりしても、実際に町の中を自分の足で歩いたことはありませんでした。

薬の町、壺阪寺のある町というのは県政だよりなどで知識を得ていましたが。。。

しかしよく考えてみれば、オフロードバイクにまたがっていた学生時代、吉野からの峠越えの途中で、何気なく高取城址に立ち寄ったことはあります。

Tosa2 そんな30年前のことを思い出しながらネットで検索してみると、近鉄壷阪山駅から城址まで数キロで行けることがわかりました。たまたま昨日は穏やかな冬の日だったので、リハビリのウォーキングがてら、ふらっと行ってみることにしました。

http://www.takatori-guide.net/key_shiro_ezu.html

高取城は山頂一帯に建てられたお城ですが、土佐と呼ばれた植村家二万五千石の城下町はその山のふもとにありました。今でも上写真の薬屋や医院のように、当時を偲ばせる建物がたくさん残っています。

Tosa4 城に向かう街道筋には、このような長屋門のある武家屋敷が何軒か見られます。

奈良盆地にある普通の名家の屋敷と違うところは、敵の侵入を防ぐための様々な工夫がなされていることです。

敵が玄関まで辿り着くまでに、あちこちから攻撃できるようなつくりになっていますが、今でも悪質訪問セールスにも対応できるかもしれませんwwwww。

Tosa5 集落のもっとも高いところにひときわ立派なお屋敷がありました。

ここは歴代藩主植村家のお屋敷で、今でもご子孫が住んでおられるそうです。

ちなみに現高取町長は、植村家忠氏なんですね。大学同窓会を奈良で開くときに一度お世話になったことがあるのですが、その頃も「殿」と呼ばれておられました。

Tosa6 土佐の街並みを抜けると、山道に入るまでのどかな風景が続きます。途中で俳人の阿波野青畝の生家の標識がありました。

道の傾斜がきつくなり、植村家の菩提寺「宗泉寺」を過ぎると、城址への本格的な登りとなります。駅からここまでは約3kmほどで、写真を撮りながら歩いても1時間もかかりません(次の記事に続く)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »