菜の花の 中に城あり 郡山
と、タイトルを入力したとき、最初は「菜の花の 中にシロアリ… 」と出て、一気に疲れたワタシです。![]()
さてこの連休は身体を休めるために遠出をしませんでした。というか5/1で定期券が切れたため、まぁ神様が「家でゆっくりしぃ~」と言ってるんだと解釈して、ぼちぼちと家の中の整理をしていました。
それだけでは身体がなまるので、息子の通学チャリにまたがって、隣町である大和郡山にも行ってきました。
どうも奈良県に住んでいると、飛鳥時代、白鳳時代、天平時代以降のモノは価値が弱いような錯覚を覚えます。藤原時代?何それ?って感じですから、ましてや安土桃山時代以降に栄えた町大和郡山は、今まであまり散策のために歩いたことはありませんでした。
そんなわけで城内に足を踏み入れたのは、奈良県に50年以上生きてきて初めてのことです。
お城の北側から西側を走る道路は、奈良と斑鳩を結ぶ主要道路ですから、今まで何度も走っているのですが、本当に石垣だけを外側から見るだけでした。
よく考えてみると、大和郡山城には現存する天守閣はなく、また櫓や塀も近年になってから再建されたものですから、観光客にとってはそんなに魅力がなかったのかもしれませんね。
写真は本丸跡にある柳沢神社です。そう大老格で有名な藩祖・柳沢吉保を祀っています。そしてこの神社の裏手に天守跡があります。
お城を造るには膨大な石材が必要です。この郡山の地に本格的なお城を築いたのは、筒井順慶、豊臣秀長、そして増田長盛らですが、彼らは大和国中から石を集めさせました。その中には平城京の羅城門の礎石や、多くのお地蔵様も含まれていたそうです。
写真手前の石垣にもお地蔵様が組み込まれていて「さかさ地蔵」と名づけられています。基部の角張ったところを外側にした方が石垣としては安定したのでしょうね。お顔は逆に内側を向かれておられました。
そしてその近辺には、後から小さなお地蔵様が持ち込まれ、並べられるようになりました。
お城から出たところ、つまり大手に当たるところに菊屋という有名な和菓子屋さんがあります。
ここの御城の口餅(通称しろのくち)はひとくちサイズなのですが、表面のきな粉や中の餡のマッチングがとても良くて、ワタシの好物でもあります。かつて秀吉も城内でのお茶会には、この店の和菓子をたびたび嗜まれたそうですね。
そういえば奈良県のお雑煮は白味噌仕立てで、きな粉をつけていただくのですが、これは他府県の人にとっては「え~っ!(@_@)」と言われる雑煮ネタなんですね。

町の中をぶらついてみました。道の真ん中を小川が流れているところが紺屋町。藍染めをこの川に晒していたそうです。
また大和郡山城の外堀の内側はいわゆる惣構えと言われる城郭都市でした。
最近になって2車線の道路が町中に造られましたが、ほとんどの地域は昔ながらの細い道で、一方通行になっています。町の名も材木町、豆腐町、鍛冶町、塩町、魚町、雑穀町と趣のある名が続いています。
そして少し町外れに行けば、独特の3階建ての木造建築が立ち並ぶ一画があります。
かつては遊郭街として、奈良はもとより、河内や山城からも多くの旦那衆が訪ねてきて賑わったのだとか。今は廃屋もかなり見受けられました。

大和郡山といえば、金魚を思い浮かべる人も多いでしょうね。町を取り囲むように金魚池が並んでいます。
これから夏祭りに向け、多くの金魚が育っていくのでしょうね。
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