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2009年7月30日 (木)

赤穂城と明石城

Akousioya 姫路に用事があったついでに赤穂に行ってきました。

赤穂といえば忠臣蔵と塩で有名ですね。写真はお城の近くにあった塩屋?さんです。

今の時世、忠臣蔵って共感を呼ぶんでしょうかね?主君が江戸城内で刃傷事件を犯したおかげで、家来がとばっちりを受けたような気がするのはワタシだけ?

また切られた吉良上野介も、意地悪ジジィというイメージになっていますが、彼の方こそ被害者なんじゃないでしょうか?coldsweats01

Akouanago それはさておき、この辺の名物に穴子があります。

で、駅近くにある某食堂で穴子天丼をいただいてきました。

お腹から開くと切腹というイメージがあるから、赤穂の穴子は背開きなんだそうです。

赤穂城は100名城に選ばれているだけあって、思ったよりも広大で立派なお城でした。山鹿流陣太鼓で知られた軍学者の山鹿素行が縄張りの一部を設計・改修したそうです。

お城も大手門をはじめ、少しずつ復元されていました。ただ雨がキツかったので、いい写真がとれなかったのですが、ここのお城は訪ねてみる価値はあります。

Akasi1 Akasi2 赤穂の次は明石に向かいます。

ここのお城も100名城に選ばれていて、2つの櫓が向かい合うように建つ立派な石垣のお城で、東海道本線・明石駅から望むことができます。

城址一帯は市民憩いの公園になっていて、高校野球県予選も、櫓のすぐ下にある球場で開催されています。

この日は雨天順延でしたが、昼過ぎには雨もあがり、緑がとても目に優しかったです。

Akasi3j 明石といえば蛸と明石焼きですね。

魚棚商店街は昼過ぎでも活気があって、新鮮な魚介類が並んでいました。

数年前、明石海峡大橋の下あたりで船釣りをしたことを思い出しました。その時はガシラがよく獲れました。

で、港近くの明石焼きのお店「きむらや」へ行ってきました。

Akasi4j Akasi5j

ここの明石焼きは玉子焼きとも言うそうで、一人前が20個です。

昼遅くに穴子天丼を食べ、移動の電車内でおやつを食べた身にとって、20個は多すぎました・・・。

最後の数個はマジ罰ゲームかと思いましたで~。crying

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2009年7月22日 (水)

東美濃・岩村城址

Iwamuramati3 以前にも記事にしたように、今年は大和国・高取城備中国・松山城と、日本三大山城のうちの2つに登城してきました。

残り1つは東美濃にある岩村城です。中央本線の恵那駅を下車し、明知鉄道に乗り換え、緑の山や田園風景の中を30分ほど気動車に揺られたところにあります。

前記の2つのお城同様、観光バスで気軽に行けるところではないですから、実際に登城した人は少ないでしょうね。でもそれだけ無秩序な文明に晒されていないので、この地を訪れた人はいい旅になるでしょう。

Iwamuramati5 Iwamuramati2 駅は町の西外れにあります。ここから城山に向かうゆるやかな道を歩いていきます。城山は他の山と違って、かつて人工物があったことを伺わせるような、段々構造になっていますから、遠目でもわかると思います。

お城までの道は、旧き良き時代の面影を残していて、自動販売機がなければ、昭和いや明治・大正を彷彿させる、そんな魅力的な城下町でした。

町の中央を流れる川を渡り、さらにひと登りして太鼓櫓のある御殿跡に着けば、そこからお城の縄張りが本格的に始まります。

Iwamura1 Iwamura7 比高差は約200mですから、本丸跡まではゆっくり歩いて30分といったところでしょうか?それまでは累々とした石垣群が続きます。

諸処に待ち受けている門跡を見ても、とても厳重で攻めづらい城であったことが伺えます。大手門も現在は空堀跡を通るようになっていますが、かつては空堀に畳み橋という木造の橋が架けられていて、戦いの時には、それを引き払って敵が登れないようにしたとか。

このお城の歴史はかなり古いのですが、江戸時代に修復された石垣は緻密なもので、三日月型に反り返ったそれには言葉を失ってしまいます。野面積みの石垣とは対照的ですね。

関ヶ原以降は主に譜代大名の松平家が代々城主をつとめましたから、小藩であっても立派なお城が造れたのでしょうね。

Iwamura2 Iwamura3 6段構えの見事な石垣の横をすり抜け、さらに門跡をいくつか通り抜けると、ようやく本丸跡に到着です。

木々が生い茂って、眺望はききにくいですが、ここまで上がれば風がとても心地よく吹き抜けてくれました。

2・3万石の小藩にもかかわらず岩村藩は学問が盛んで、知新館という全国でも5指に入る藩校を持っていました。そして昌平坂学問所とも深い関係があり、江戸幕府の老中にも人材を派遣したときいています。学問の大切さを伺い知ることができますね。

Iwamuramti1 Aketi2_2  石垣や街並みを愛おしむようにゆっくりと山を下りていき、ふたたび明知鉄道の乗客となりました。

18時間にわたる思い出深い小旅行でした。

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2009年7月21日 (火)

明知鉄道で岩村へ

Chikuma かれこれ30年ほど前の話である。

ワンダーフォーゲル部に所属していたので、長期休みは信州に出かけることが多かった。その頃の交通手段は旧国鉄の夜行急行がほとんどで、白馬方面なら「きたぐに」を、松本方面なら「ちくま」(写真はヒロイモノ)を利用していた。

ともに大阪駅を23時頃に出たと思うのだが、「ちくま」が信濃の国に入るのは、丑三つ時頃の中途半端な時間であった。電気機関車に牽引されたブルーの客車は、今の電車のような快適な座席ではなくて、背もたれが直角に屹立しており、とても眠りを誘うようなしろものではなかった。私はよく通路に新聞紙を敷いて寝転がっていたが、夜行急行の乗客、とくに旅する若者にとってはそれがごく普通の光景であった。

Aketi_2 信州に入る直前に恵那とか中津川とかの駅を通り過ぎるのだが、床から伝わる車軸とレールの振動でたびたび目が覚める。停車中に何気なく顔をあげると、ホームの片隅にあった明知線と書かれた案内板が、夏虫にまとわりつかれた蛍光灯の光で浮かび上がって見えたことがあった。

ひょっとしたらその頃は明智線と書かれていたかもしれないのだけれど、あの線が明智光秀の出身地に行く線なのかな?と、発車ベルも鳴らない静かな真夜中のホームを、ただぼんやりと見つめていたように思う。40kgを越える重いザックを横にして、長丁場の夏合宿を前にした不安なのか、あるいは青春独特の心の揺れなのか、とにかく気だるかった記憶だけが残っている。

それから約30年、恵那駅のホームに下り立ち、小走りで明知鉄道に乗り換えようとしている51才の自分がいた。明知線は旧国鉄から独立して第3セクターになっていた。

Aketi3 始発駅を出て山の中に入り、約30パーミル(30/1000)の急勾配の線路をどんどん登っていけば飯沼という比較的新しそうな駅に着く。この駅の標識に「33パーミル・日本一の勾配駅」と書かれてあったが、通常はこの勾配には駅は設置してはいけないらしい。

いろいろ調べてみると、当時の運輸省の立ち会いの元、特別に認められた新駅らしいのだが、駅周辺は緑ばかりで何もない。当然のことながら、この日の乗降客もいなかった。

Aketi4_2 Aketi6_2  トンネルを越え、今度は急勾配を下っていくと阿木駅に着く。何とこの駅構内に歯医者さんがあったのだが、下りて確認する時間がなかった。

懐かしい気持ちにさせてくれる農村風景の中を、気動車は腰を振りながら登っていく。その自転車なみのスピードが身体に心地よい。さざめく緑の稲穂が目に優しくて、非日常の世界へいざなってくれる。

Aketi5 恵那駅を出て半刻で今回の目的地、岩村駅に到着した。早朝5時半に家を出てから6時間の旅、本当にやれやれである。

なんかこう映画のロケに使えそうな、時代に取り残されたような、そんな趣のある駅舎だった。

そして駅の古ぼけた待合室で、30年前の自分が重いザックを背負って佇んでいるような、そんな光景も垣間見えたような気がした。

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2009年7月13日 (月)

豊後竹田・岡城址

Bungotaketa この日曜日は博多で研修があったのですが、例によって前日にぶらっと旅をしてきました。今回は大分から熊本の九州横断です。金曜夜、神戸六甲アイランド発のフェリーに乗って、まずは大分に向かいました。

メインの目的地は豊後竹田岡城址です。

ちなみに駅名表示板にあるように「たけだ」ではなく「たけた」なんだそうです。

道理で西大分駅で切符を買うときに「たけだ」と言うと、駅員さんに「?」な顔をされたわけですね。「ぶんごたけだ」と言ったらわかってもらえました。

Oka1 駅で地図をゲットし、お城に向かってテクテク歩きます。行政区分では竹田市になっていますが、実際は平成の合併後も人口2万人少々の小さな町で、崖を持つ小高い山が市街地のいたるところに見られます。

街並みを通り抜け、トンネルを2つくぐり、さらに高度を稼いでいけば岡城址の入り口です。

写真は大手門に通じる道です。桜の季節はとてもキレイなんでしょうね。

Oka3 JR西日本などのポスターでお馴染みの風景です。

岡城はもともと戦闘用のお城ですから、それはそれは攻めにくい造りになっています。

何万という島津軍が攻めたときも、1000人ほどの兵士で守りきったというのも頷けますね。

周囲は天然の崖と峡谷に囲まれ、石垣から下を覗くと、すぱっと切り落ちているのがわかります。その名も地獄谷でした。

Takiren1 それと岡城址を有名にしたのがこの人です。

そう「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎ですね。彼は少年時代を竹田市で過ごし、岡城址が遊び場だったそうです。

城を下り、廉太郎トンネルを潜ったところには、彼の生家が記念館として残されています。

Oka4 Oka5 このお城は石垣がとても見事なんですね。

関西でよく見られる花崗岩ではなく、地場産の火山岩なんでしょうか、少し焦げ茶色の凝灰岩っぽい石でした。

いわゆる野面積みではなく、石同士がぴったりと合わさった、とても精緻な造りなのですが、ところどころで石垣を破壊しようとするがごとく、木の根っこが食い込んでいました。

朽ちていく退廃の美というのでしょうか、人工と自然の対比を感じずにはおられませんでした。

九州横断特急に乗るため駅に戻ると、大雨のため阿蘇方面は不通になっているとのこと。予定を変更して、高速バスで熊本に向かいました。

Kumamoto というわけで阿蘇には立ち寄らず、今回はバスの車窓から眺めただけですが、雲の切れ間に顔を覗かせた久住山のダイナミックな風景に癒されました。

また外輪山を越えると、黄緑色の草原が目に飛び込んできて、これもまた感動しました。

そして熊本では、たっぷりとお城を堪能してきました。

Yamagasa2j そして博多はちょうど祇園山笠の季節でした。

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2009年7月 6日 (月)

世界一の美女・・・

Inesu2 先週の日曜日、何気なくTVの画面に目をやると「エチカの鏡」という番組で、イネス・リグロンなる女性が紹介されていました。

彼女はミス・ユニバース・JAPANのディレクターで、知花くらら森理世を世界に送り出したことで有名ですよね。

歯科の仕事にもいろいろ応用がききそうなので、メモを取りながら見入ってしまいました。

Ines_2 たまたま楽天ブックスから300ポイントと送料無料の特典をゲットしていたので、「世界一の美女の創りかた」という本をネット注文しました。

思ったより小さな本でしたが、興味深く読み進むことができました。

イネスの発する100近い魔法の言葉のうち、歯科に関係するところを抜き出してみましょう。

* まず健康でありなさい

* 美のベースを作るのは食生活よ。

これは食育にも通じますね。

* スピーディに歩く

これはワタシが日頃から口にするお口と全身との関係に通じますね。

Inesu1_2 そしてさらに歯科と関連が深いのは・・・

* パーフェクトな口元を!

* アゴを2センチ上げて

* 鏡に向かってスマイル&トーク

* 表情はトレーニングで変わるわ

などなどでしょう。

単に歯だけを診るのではなく、顔や全身とのバランスも注意深く観察していかないとダメだなぁ・・と再認識しました。

Yunibasuj ワタシも「より美しく より機能的に」という患者さんの望みを少しでもお手伝いできるよう、研鑽に励んでいきたいと思います。

昨日の日曜日も、最先端の審美歯科の話を聴きに行きました。1学年上の先輩が講師なのですが、先頭に立って審美歯科界をリードしてくれるので助かります。

またウチのスタッフにも本を貸し出すことにしました。それによって彼女たちがより魅力的になって、患者さんに素敵な笑顔を提供できれば、診療所内も明るくなるし一石二鳥ですね。

Sanpatu 最後に余計な1枚を。。。

アメリカ村の知り合いのお店でhairsalon、世界一の美男子を創っているところですwwwwdown

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2009年7月 3日 (金)

「剱岳 点の記」を観てきますた

Turugidake 久しぶりに映画を鑑賞してきました。学生時代は新田次郎の黄色の背表紙の文庫本はほとんど読んだことも思い出しました。

地味なストーリーなのに結構入場者が多いと聞いていましたが、行ってみると中高年者がほとんどです。「衝撃的なハリウッドの映像はちょっと苦手~」というタイプの方が中心なんでしょうか?

ワタシは学生時代ワンゲル部に所属し、現在も日帰り登山を楽しんでいるので、ストーリーよりも山岳映像を楽しみに行ったような感じです。辛口批評ながら、内容はまぁまぁやった・・というところでしょうか。

確かに黒澤組のカメラマンが監督をされた大作なんですが、山屋としてはどうもリアリティに欠ける部分がちょこちょこ出てきて、その都度失笑をしてしまうのがいけなかったんだと思います。

例えて言えば、ノーサイド の時、ラグビージャージがキレイなままの映画だと、ちょっと違和感がありますね。昔風の衣装の山のガイドと、近代登山のハイカラな服装を対比させたかったんでしょうが、何日も山に入っていて糊のきいたシワひとつない登山服ってどうよwwwと思ったり、ザイルの扱いや滑落シーンに????と思ったり、風が強く、しかも高所で空気の薄い稜線で鍋??と思ったり、強風雨時に簑をあっさりと外の棒に立てかけたり、ザックを背負うときに力こぶが出なかったり(空荷なんでしょう)、その都度心の中で笑ってしまって、深い感動に浸ることができませんでした。

でも山の映像は素晴らしかったです。称名の滝、雲海に浮かぶ富士山長次郎谷劔沢の雪渓、後立山連峰池の平の紅葉、八ツ峰大窓・小窓槍・穂高連峰、そして四季折々に装いを替える雷鳥・・・、それらを指さしながら学生時代の北アルプス山行を思い出してウルウルしてしまいました。

一般の方なら、そのような矛盾を感じないと思うので、今季の優秀作品に選ばれるかもしれません。

今までの山行きで、ワタシは数え切れないくらい三角点を踏んできましたが、それらは先人達が苦労して担ぎ上げ、丁寧に測量してこられたんだと思うと、頭が下がる思いがします。縁の下の力持ちの仕事ってやつですね。そういえば送電線やダムなどもそうですね。あれがあるから文明生活が送れるのですが、組み立てあげるのは大変だったでしょうね。

最後に25年前に剱岳にチャレンジしたときのワタシの写真をアップします。はたして再びそのピークに立てるチャンスは訪れるのでしょうか?

Turugi1j_2 Turugi4j_2 Turugi2j_2 Turugipeak 

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