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山陰の古城 -松江城・富田城・米子城-

見知らぬ町を歩くのが好きだ。
おおよそのイメージがつかめれば、地図は見ない主義である。
迷子になろうとも遠回りになろうとも、それはそれで面白い。

ガイドに載ってないような路地、無邪気に遊ぶ子供たち、
台所から漂ってくる生活の匂い、寝そべっている犬や猫、
その町が育んできた歴史と文化が交じり合って、旅はいっそう深まる。

齢50を過ぎ、津々浦々の山々や城跡に出かけることが増え、
ここ2年以内に訪ねた都道府県は、40を越えていることに気づいた。
息子が大学生になり、子育て完了宣言をしたからなんだろうな。

それは少し寂しい人生の通過点でもあったけれど。

Photo

先週末、夜行バスが運んでくれた先は、湖都であり城下町でもある松江だ。
早朝の町を散策すると、思いがけなく朝焼けの歓迎を受ける。
海と湖を結ぶ川に浮かぶのは、シジミ採りの船だろうか。
観光客のいない武家屋敷を、自転車の女学生が通り過ぎ、
その残像は青春時代の自分とかぶった気がした。

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山陰線のローカル列車に乗り、中海を見ながら次の目的地に向かう。
長年の間、名門尼子氏の拠点であった月山富田城だ。
それは安来の中心部から10kmほど遡った山あいの地にあり、
麓の広瀬の町までコミュニティバスで行き、本丸を目指して山道を辿っていく。

04

平安末期に築城されたとも言われるこの城は、毛利氏に敗れた戦国期まで、
この地方を支配しつつけてきた難攻不落の要塞だ。
いくつもの曲輪を過ぎ、蛇の出現に驚きながら堀切を登り、
七曲がりを詰めていってようやく本丸に着く。

少し早めの昼食をザックから取りだし、来た道を振り返る。

06

赤い石州瓦の民家、市立病院、尼子氏の菩提寺、造り酒屋などなど、
はるか下方に見えるのは広瀬の町並みだ。
昭和の色を濃く残した、津和野にも似た、懐かしさのただよう町だ。

10

再びコミュニティバスの人となり、最後の目的地、米子城に向かう。
ここは明治初期まで五層の天主が聳えていたとか。
それが現存していたなら、100名城に選ばれてたであろう、そんなみごとな縄張りの城だ。
城山を登りつめ、石垣を攀じると突然視界が開けた。

心地よい風が吹きぬけ、眼下には米子の街と中海が広がる。
はるかかなたに境港、弓ヶ浜、ふりかえれば大山が霞んで見えた。

12

高速バスで帰阪の途につき、眠りから覚めると、誰もがせわしくなる京阪神の地だった。

膨大なエネルギーが消費される、進みすぎた文明にマヒした都会でもあった。

時々遠くに出ること、それは残された自分の人生にとって、とても貴重な時間なのかもしれない。

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