カテゴリー「なにわの風景」の13件の記事

ぶらり新世界

水曜午後は休診なのでウォーキングしてきました。
まずは難波の登山用品店まで行き、ほんでオタク街化した日本橋に向かいます。
3階建てなのに何故「五階」って言うんだろう??
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疑問がとけないまま、堺筋を南下しますと恵美須町の交差点です。
真正面には通天閣が見えますが、右手には商店街が。
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なぜかテリーマンが鎮座していました。
この商店街も昔は賑わっていて、人混みで向こうが見えなかったと説明板にありました。
通天閣周辺は休日のお昼は串カツ目当ての若者で賑わっていますが、
平日の夜は昔ながらの猥雑な街です。
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任侠映画ならここで観ることができますね。
毎日オールナイトなんだそうですが、椅子は昔のままなんでしょうか?
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新世界といえば昭和の色濃い国際劇場。
DVDの時代、わざわざスクリーンで観るのは大画面だからでしょうか?
ここは他の映画もやっていて、まぁシネコンの走りですね。
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囲碁将棋倶楽部のあるジャンジャン横丁を経て市大病院の裏手へ向かいます。

旭町あたりは学生時代は物騒な街でしたが、今では高層マンション群になっています。
が、商店街の活気が失われたと感じたのは気のせいでしょうか?
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本日のゴールはQ'sモールです。
が、新装当時のあの混雑はどこへ行ったの?てな感じで、
キタほどの賑わいはありません。
明治屋やグリルマルヨシは昔のままの方が良かったなぁ。

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おきナニワん大正区

5年前の正月に大正区をぶらついたことがあります。

http://nicky-mouth.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_24ea.html

今度は沖縄料理を食してみようと、再び大正区に行ってきました。
大正駅そのものは京セラドームでの野球観戦で幾度となく行きましたが、駅から南下するのはまだ1回だけです。
今回は平尾から千本松大橋が目的地なので、市バスに乗ることにしました。

平尾のバス停で下車し、平尾本通り商店街を進みます。シーサーの絵が描かれてある幟や看板が沖縄らしさを醸し出しています。

商店街を外れて沖縄そばの店の暖簾をくぐりました。今日の腹ごしらえはオリオンビールにソーキそば定食という、ちょっとリッチなメニューです。小鉢も油味噌も旨しです。

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お腹が膨れたところで千本松大橋に向けてぶらつきます。住宅街を離れ工場の中を行くと、ほどなく千本松の渡船乗り場でした。

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大正区は川と海に囲まれた島のような地区ですから、他区へ行くには渡船が欠かせません。基本的に渡船は道路(橋)と同じ扱いですから、乗船料は無料です。

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橋が架かると渡船は普通は廃されるのですが、あんな高いところまで歩行者や自転車が上がるのは酷だ!という住民の声で、ここの渡船は残されました。そりゃそうですよねぇ。

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この辺は河口に近いところなので、大きな船も停泊しています。今日はルミナス神戸号が曳航されているのを見かけました。

ふと遠くに目をやると、あべのハルカスがランドマークとしてそびえ立っていました。

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大阪城天守閣復興80周年

今日は午後休診だし、いいお天気だったので、
京橋の診療所から大坂城経由で天王寺までウォーキングしてきました。

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大阪城天守閣復興80周年祭ということで、普段非公開になっているところが見られます。

http://www.osakacastle.net/80th/

今日のお目当ては、10mほど地中に眠っているという豊臣時代の石垣です。

大坂城落城後は秀忠が徹底的に破壊し土盛りをした上、新たに石垣を組み、さらに豪華な城郭を造ったそうです。ですから今の大阪城は秀吉ではなく秀忠が建てたものなんですね。大阪人でも誤解している人が多いですけれど。

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次に天守閣の南側、旧陸軍司令部のあった茶色の建物に行きました。
戦後は市立博物館になりましたが、数年前に「歴史博物館」として、法円坂のNHKに移りました。それ以後は閉鎖されていた建物の内部が特別公開されていました。

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最後に天守閣の北側に回り、秀頼淀殿が自刃したという山里丸にお参りしました。

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大河ドラマ「江」の影響で多くの人が訪れていると思いましたが、相変わらずひっそりとして人気が少なかったことに心が痛みました。

歴史にifは禁句ですが、もし秀頼よりも家康が先に亡くなっていたら、日本はどうだったのでしょうね。。。

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大阪にも津波が来ていた

といっても江戸時代の話ですが。

先日難波で髪を切り、その足で京セラドーム向けて歩きました。
桜川、汐見橋を過ぎ、川向こうの京セラドームが目に飛び込んできたとき、橋のたもとに碑文がありまして、「何書いてあんねん?」と読んでみたら、大阪に津波が来て多くの人々が亡くなったので、後世の人に伝えてほしいというものでした。

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全文は大阪市のホームページを参照してください。

http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html

大阪は湾になっているので、太平洋から津波は来ないと思っていましたが、湾内でも発生するんですね。

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やはり安全なところは、昔からずっと安全であることが前提なんでしょうね。難波の宮も四天王寺も高津宮も熊野古道も、大阪に昔から存在する建築物や道はほとんどが上町台地の上にありますし。

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城北(しろきた)公園の菖蒲園

Sirokita3 今日の昼休み、例のイタリア娘(チャリンコ)にまたがって、城北公園に行ってきました。

http://www.ocsga.or.jp/osakapark/hfm_park/07shirokita/hanasyoubu2009.html

菖蒲園は今週いっぱいだそうです。今日は晴れてましたから、チャリンコで行くにはラストチャンスでした。でも入り口に「見頃過ぎ」と書いてありましたが・・・。

Sirokita4 といっても、アヤメ・ショウブ・カキツバタの区別がつかないワタシには、どのへんが見頃過ぎなのかわからなかったのが幸いでした。

この公園は都心部から少し離れていますし、最寄り駅からも少し遠いんですけれど、そのぶん地元の人の憩いの場となっている感じです。

また淀川べりにありますから、地形は平坦で、園内にほとんど段差はありません。だから車椅子の方や、要介護の方が息抜きに来るにはちょうどいいんでしょうね。

Sirokita2 園内は菖蒲だけでなく、紫陽花などの花もアクセントを添えていました。

でも晴れた暑い日には紫陽花は似合いませんね・・・。

と贅沢なことも言ってられる昼下がりのひとときでした。

それぞれの花の名前が書かれた立て札があったのですが、すっかり忘れてしまいました…。でも菖蒲って、ちょっと妖艶な着物美人というイメージがありますねぇ。

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戦士たちの春 -真田山-

Sanada13 玉造駅から南西に向かって300mほど歩くと、地形が周囲より小高くなっているところがあります。

大坂冬の陣真田幸村が出城を築き、徳川家康軍をさんざん苦しめたという伝説がありますね。この出城を真田丸といい、現在は公園などになっています。

今、大坂城の天守閣では「いくさ場の光景」という特別展があって、真田幸村関係の資料も何点か展示されていました。http://www.osakacastle.net/exhibition/special.html

Sanada1 この真田幸村の銅像は、三光神社の鳥居前に立っています。そしてその斜め後ろには「真田の抜け穴」の入り口があります。

この抜け穴はかつて大坂城に通じていたそうですが、現在は地下鉄工事やビル建築などで寸断されているそうです。太閤下水などを作った秀吉ですから、抜け穴も作っていてもおかしくないですね。

冬の陣で勝利した徳川方は、苦しめられた真田丸をつぶし、さらに大坂城の外堀まで埋めてしまいました。そして夏の陣で、真田幸村は家康の本陣にあと一歩の所まで襲いかかるも、安居神社のあたりで壮烈な最期を遂げました。享年49才でした・・・。

合掌。

Sanada10 Sanada11

三光神社の西側には旧真田山陸軍墓地があります。

日本陸軍は明治4年に作られましたが、西南の役や日清・日露戦争などで亡くなられた方がここに眠っておられます。墓石は外国人俘虜も含め約5000、納骨されたお骨は数万体あるそうですが、今ではその存在を知る人も少なく、傷みがひどい墓石も何点かありました。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/sanaboti/

毎年この季節、御霊を慰めるかのように桜の花びらが降り注ぎます。合掌。

Sanada14 すぐ北側にある宰相山公園からは、ドッジボールに興じる子供達の歓声が聞こえてきました。

桜の花は平和が似合いますね。

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ぶらり大正区

皆様あけましておめでとうございます。今年も拙ブログをよろしくお願いいたします。

早や正月三が日も過ぎようとし、明日から平成20年度の診療が始まります。といってもすぐの土日にお休みをいただいておりますが・・・。(^^;)

さて今回のネタは大正区です。通勤帰りの環状線などで、しょっちゅう通過するものの、京セラドーム大阪ができるまでは、この区に足を踏み入れたことはありませんでした。でもドームに行くときですら、大正区の北端を少しかすめるだけですので、今回がマトモな初訪問となります。ちなみにドームの最寄り駅は「大正」駅ですが、ドーム自体は西区にあるんです。

大正区から受けるイメージは「海抜0メートル」と「沖縄」でしょうか?電車から見る堤防の内側の街は尻無川木津川の水面よりも低いことがあります。また沖縄出身の方が多く住まわれているそうで、一度沖縄料理のお店に行きたいと考えていました。

大型船の通行のため、三角州状のこの区に入る橋が少ない代わりに渡船が多いこと、また地下から湧き出す温泉を利用してスーパー銭湯ができたことなどを以前新聞で読んだことがありましたので、この両者を訪問することを今回の目的にしました。

Photo 大正駅から南方向に2kmばかり歩きますと、大型ショッピングセンターゾーンや高層団地が目に入ります。ここは以前は運河であったり、木材の貯木場であったりしたそうですが、今では埋め立てられて、昔の面影はないそうです。

その一角に、河口の三角州でありながら緑で覆われた小高い山があります。「昭和山」の表示にしたがって、螺旋状の道を登っていきますと・・・。

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穏やかな日差しの中、冬の木々達が青空をバックに迎えてくれました。丘の上に立てば、大阪は港であることを再認識させるようなパノラマが広がっていました。ちなみにこの山は、地下鉄工事で出た土砂で作られたそうです。

前述の通り、大正区内にも港(大正内港)があります。もともと南港ができるまでは、大正区は直接大阪湾に面してたんですけどね。今では埋め立て地はさらに沖合まで広がり、南港大橋、なみはや大橋、尻無川新橋など、はるか高いところまで上り詰めるような橋もかかっています。

Photo_4 景色を堪能したあとは山を下り、スーパー銭湯「やまとの湯」に向かいます。入口で出迎えてくれたのは、シーサー君でした。天然温泉だけあって、お湯はなめらかな感じです。

やまとの湯でくつろいだ後は次の目的地、落合上渡船場に向かいます。

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人と自転車しか乗れない渡船ですので、乗船場は本当に目立たないところにあります。また15分間隔で運行されていますが、対岸の西成区北津守までは100mほどの距離ですから、あっという間に着いてしまいます。

市営渡船の乗船料は無料です。これは一般道路扱い(普通、橋を渡る時は普通はお金は不要ですよね)という理由からだそうですが、もちろん運営的には赤字ですね。でも市民の足ですから、何とか維持して欲しいと思います。

対岸からは千島の高層団地と公園が見えました。穏やかな冬の午後、初めての道を小一時間ほど、天王寺までのんびり歩いて帰りました。

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万博公園

東京から師匠が講演に来られるということで、著書に署名を貰おうと、吹田市まで出かけてきました。でもこんな天気のいい日は、新緑の中を歩きたくなります。というわけでJR茨木駅を降りたワタシは、万博記念公園に向かってテクテク歩き出していたのでした。

Photo_288 Photo_289 30分ほど歩いて万博記念陸上競技場に到着。東口ゲートから記念公園内に入りました。万博があったのは1970年のことで、ワタシが中1の時です。あれから早や37年も経ちましたが、派手派手パビリオンが並んでいた会場は、ちょっとした森になっていました。でも50年前の吹田市は市のエリアの3/4が緑あふれる丘陵地帯だったんですよね。今では万博記念公園と、ところどころの公園くらいしか、まとまった緑はありませんが・・・。

Photo_282 Photo_283 岡本太郎作の太陽の塔も37年ぶりに間近での再会です。ここにお祭り広場があったとは思えないくらい、起伏のある公園になっていました。この日は各家庭から寄贈された鯉のぼりが、初夏を思わせる陽気の中、気持ちよさそうに泳いでいました。

この日の一番のお目当ては森の空中散策路というか、歩道橋のような「ソラード」です。実はワタシは昔、四手井綱英センセに憧れていて、森林生態学を学びたいがために某大学を受験したのですが、あえなくも玉砕してしまいました。その頃は父の仕事である歯科には全く興味がなく、「開発でえぐられた日本の森を再生したい、それはムシ歯を塞ぐことよりずっと価値がある・・・」と思っていました。その時すべり止め?で受けたのが歯科大学で、歯学部ではない本命大学に不合格だったとき、やはり歯科医であった祖父が喜んだというオチもありました。(^_^;)

歯科大学のクラブ活動でワンダーフォーゲル部を選択したのも、森に対する憧れがあったのだと思います。本命大学は広大な演習林を持っていましたが、そこは一般登山客も入ることができ、部活で秋の演習林内を歩いたとき、何やら複雑な気持ちだったことを覚えています。

Photo_284 話が大きくそれましたが、緑の力は偉大だと思います。ソラードの終点は木組みの展望台になっているのですが、ここを登って、来た道を振り返ると、写真の森のはるか向こうに太陽の塔、万博記念競技場、エキスポランドなどが見えました。前掲の万博開催中の時とすっかり様相が変わっていますね。

鳥の視線になって薫風に吹かれ、樹々から胸一杯エネルギーをもらった後、西口ゲートから出て、今度は千里中央駅に向かって、再びテクテク歩きはじめました。

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水紀行 玉串川 その1

石走る 垂水の上の さわらびの

 萌え出づる春に なりにけりかも  志貴皇子

Photo_235 先月の記事では長瀬川紀行について書きましたが、またまた大和川支流(旧大和川では本流)に沿って歩いてきました。今回は「玉串川」です。完全防寒で歩いた長瀬川と異なり、こちらは春の使者が訪れ始めていたのか、一部の桜の蕾がピンク色になりかけていました。

まずJR「久宝寺」駅で下車です。大和路線快速は「法隆寺」「王寺」「久宝寺」「天王寺」と「寺」のついた駅名が連続します。先月長瀬川を歩いた際に「久宝寺寺内町という標識があり、あれっ「久宝寺」って存在するんやなぁ・・とちょっと意外でした。ちなみに「王寺」というお寺はありません。「天王寺」も正確には「四天王寺」ですけどね。それはさておき、JR八尾~久宝寺駅間の車窓から北の方角に目をこらすと、大きな屋根が目立つお寺が見えるので、ひょっとしてあのお寺かなぁ?とずっと気になってました。

Photo_231 さて久宝寺寺内町ですが、駅のコンコースに案内板がありますから、それにしたがって北に向かうと、環壕らしき水路に囲まれた古い町並みに行き着きます。甍が目立っていたのは「顕証寺」という浄土真宗のお寺で、戦国時代にこの寺を中心に周囲を塀で囲まれた町づくりがなされたそうです。

八尾は「大和」と「大坂」の中央にありますから、大和川(旧水路)を利用しての様々な物質の集散地として発展したようです。そういえば近鉄八尾駅までの道沿いには由緒ありそうな家やお寺がたくさんありました。ちなみに久宝寺は西岸、八尾は東岸になっていて、その中間の長瀬川のほとりに残る船着き場跡には今も石灯籠が立っています。

Photo_232 近鉄八尾駅から近鉄山本駅まで線路に沿って東進すると玉串川に出ます。この河内山本という町は、駅前の喧噪から少し離れると、広い敷地面積の落ち着いた家が建ち並ぶ閑静な住宅街です。左の写真は山本球場前で撮りました。ちょうど八尾フレンズとどこかのチームが試合をしていました。ちなみに八尾フレンズはパイレーツの桑田選手が所属していた少年野球チームで、ここ出身のウチの患者さんもPL学園のセカンドとして甲子園に出たのを思い出しました。

Photo_233 さらに南下して高安付近です。今も大阪側には信貴山に登るケーブルがありますが、橋のたもとに石の道標がありました。このあたりで昔からの街道が川を横切っているのかもしれません。桜並木の心地よい遊歩道は、さらに「八尾おゆば」というスーパー銭湯付近まで続きます。もう少し暖かくなれば河内山本から延々と続く花のトンネルができて、それはそれは見事なものなんでしょうね。

Photo_234 「八尾おゆば」を過ぎると、川は一転して地味な存在になります。遊歩道や並木がなくなり、半分暗渠になったり、家々が背を向けたりして、ただの排水路の様相を呈してきます。そのまま歩いていくと、JR志紀駅近くの長瀬川との分流点、「二股」に到着です。このあたりでピンク色に色づいた蕾を発見しました。今日の実動歩行時間は3時間弱。かなりのんびりしたペースでしたが・・・。

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水紀行 長瀬川 その1

川面を見るのが好きです。見知らぬ町を歩くのも好きです。

というわけで、この土日は河内の中央を流れる旧大和川の長瀬川に沿って歩いてきました。ヒマとかじゃなくてリハビリも兼ねているんです。以前は市民マラソンとかフットサルとか登山とか、結構息が上がるようなこともしてたのですが、2年前に身体を壊してからは健康回復を目的に歩いています。

ワタシは大和川の上流の佐保川近くで育ち、現在は旧大和川下流の寝屋川&第二寝屋川近くで開業しています。通勤の大和路線+環状線では、都合8回もこれらの川を渡りますので四季折々の川の風景を楽しめます。今は桃?や梅の花がキレイですね。そんな感じで、この川とは小さい頃から深い縁があります。

Photo_184 Photo_185大和川はその名の通り奈良盆地の水を集め、石川と合流して河内平野を分枝しながら北西へ流れ、大阪城の北側で淀川と合流していました。大昔、河内地方は河内湾になっていて、その名残で今の東大阪市や八尾市の一部は広大な低地帯です。農地になってからも大雨による氾濫がしばしば起こり、その度にあたり一帯は泥の海と化したようです。そこで江戸時代に付け替え工事が行われ、柏原市安堂あたりからは西の堺方面へ流されるようになりました。左の写真はちょうど方向を換えている地点ですね。昔の流路は長瀬川と玉串川という分水路になり、河川敷は新田に開発されました。もっとも砂地でしたから水田に向かないところでは綿の栽培が行われ、「河内木綿」として全国的に有名になりました。

中甚兵衛の銅像が立つあたりから長瀬川は始まります。堤防の下をくぐって2つの樋門が作られていますが、ほどなく柏原駅手前で合流します。通勤電車からいつも見ていたのですが、どこから来る用水路なんだろう?と、ずっと思っていました。。川沿いの道は京都疎水のような遊歩道(「アクアロード柏原」というらしいです)になっており、泳ぐ鯉を見ながらのんびり歩くのもいいでしょう。

Photo_201 この日は雨に打たれたポストがとても趣きがありました。道中、サギのような珍しい鳥が時々川面で羽を休めていました。天王寺動物園から逃げてきたんかな??んなワケないか?でも動物園のケージの上に何羽かの大きな鳥が巣を作っているんです。あれって飼われてないでしょ?

また遊歩道の諸処には絵板がはめ込まれていて、ひとつひとつ読みながら歩いていきました。

Photo_191志紀駅の手前、二股というところで長瀬川と玉串川に分かれます。写真右は玉串川で、この川は河内平野を北上して高安、花園方面に向かいます。日曜日はこの川に沿って歩き、東花園のラグビー場に行ってみようと思ったのですが、川沿いの遊歩道というのはないようです。そこで長瀬川沿いに小阪に向かうことにしました。下見を兼ねたこの日は、志紀駅から高安近くのスーパー銭湯「おゆば」までのんびり往復して、全身の筋肉をほぐしてきました。

さて日曜日は八尾駅から歩きます。柏原~八尾間の線路は南側を併行する25号線(奈良街道)より一段と高いのですが、これは盛り土をしたというよりも、天井川であった河川敷に線路が敷設されたとのこと。20年以上、大和路線を利用していて初めて知りました。。。

八尾駅からの長瀬川もとても整備された遊歩道になっています。こちらは「長瀬川いきいき水路」という名称になっていました。桜並木が延々と続いているので、春は市民の憩いの場所になるのでしょうね。中央環状(近畿自動車道)と交差するところは少々遠回りになるものの、久宝寺口駅から近鉄大阪線の近くを通るので、いつでもリタイアOKです。住所表示はいつのまにか八尾市から東大阪市になっていました。

そろそろ歩くのに飽きてきた頃に小阪に到着。とりあえずは昔の憧れの園・樟蔭学園の正門前にゴールして、小阪在住の中高の同級生と落ち合いました。先週は司馬遼太郎記念館に行きましたから、2週間連続の小阪です。次回は小阪からさらに北上して放出へ、余裕があれば大阪城公園まで歩いてみたいと思います。

Photo_183 余談ながら大和川の川幅は小阪付近で700mもあったそうです。昭和20年代の航空写真をチェックしてみると、なんとなく蛇行している川が推定できます()。小阪~永和・俊徳道間は堤防を偲ばせる高低差が今も階段などで残っているそうですね。

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