カテゴリー「西国三十三所巡礼」の18件の記事

谷汲山にゴール!

2011年の年末から始めた西国三十三所の徒歩巡礼もいよいよラスト。
のべ1000キロを51回に分けて歩き通しました。

この連休は関ヶ原からゴールの谷汲山華厳寺です。

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垂井の宿では曳山と子ども歌舞伎を堪能しました。

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美濃赤坂の宿からは中山道を離れ、巡礼街道を北上します。
今日は揖斐町まで歩きました。
翌日はいよいよ旧谷汲村に入ります。

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トンネルを越え、のどかな農村地帯を穏やかに下っていきます。
門前に着き、はやる気持ちを抑えながら本堂に向かいます。

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そして石段を上りつめて本堂に到着、
1000kmほどの道を歩ききって結願しました。

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今までの道程で見えてきたのは日本の原風景と本来の道。
そして歩ける喜び、食べる楽しみ、ご先祖への感謝などです。

この1年ほどの間に父と義父が浄土に旅立ちましたが、いい供養になったと思います。
しかしながら地方の疲弊化、高齢化もひしひしと感じました。
都会に住み、便利さをどっぷり享受している限り、見えてこない現実でもありました。

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竹田城から生野へ

桜便りもピークを迎える頃、JR山陰線「梁瀬」駅から播但線「寺前」駅までを歩いてきました。
但馬の国から生野を経て播磨の国へ抜ける道です。

JRの路線距離を検索してみると39.3km。
実際の街道筋は、峠を越えたり遠回りしたり、
また途中で天空の城「竹田城」を撮影したりしたので、
フルマラソンよりずっと長距離になっているかもしれませんね。

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最近の竹田城人気はものすごいらしく、けっこう多くの友人が登城報告しています
ワタシは過去に2回訪れたことがあるのですが、
その頃は見える範囲内に数人くらいしか観光客がおらず、
実にのどかで緑濃いところでした。

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そんなわけで今回は竹田城をパスして、
向かい合う山にある立雲峡から写真撮影してきました。
ここは但馬吉野といわれる桜の名所で、
雲海のような桜の花の向こうにお城が浮かんで見えたときは感動しました。

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花景色を充分堪能してから下山して円山川沿いに歩きます
どこもかしこも桜や菜の花、モモやモクレンが美しく咲き乱れ、
今年初めてツバメが飛び交うのを見ることもできました。

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円山川の源流部、生野への峠越えで少しバテたものの、
「生野」から「寺前」駅までの15kmは意地で歩ききりました。

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やはり日本は桜の国だと思います。

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串柿の里

ちょっと昔の話になりますが、
土曜日に西国巡礼道を、和歌山県から大阪府に抜けてきました。

お正月の鏡餅とかに、化粧まわしのように串に刺した柿が使われますよね。
  和歌山県のかつらぎ町は日本一の産地なのだそうです。

http://www.katsuragi-kanko.jp/kusigakinosato.html

和歌山線の名手駅から槇尾山施福寺の西国巡礼道の途中にこの集落があります。
大宮神社を過ぎると、右手山腹に点々と集落が見え始めてきます。

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それから文蔵の滝に寄りました。
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そしてへろへろになりながらも平の集落に上っていくと、ゆるキャラの「かきおうじ」に遭遇しました。

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当日まで、串柿の里は全く知りませんでした。

チベットやネパールの風景を思わせるように、山の高みまで集落があり、
つづれ折れの道を必死で登っていくと、
南向き斜面に点在する集落には、物干し台のようなものが沢山並んでいました。
ここで柿を吊るすんですね。

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鯉のぼりがあるということは子供もいるんですね。
なんだか嬉しくなりました。

そして府県境である和泉山地の稜線に出て、檜原越えなる道を槇尾山施福寺までテクテクと。

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本堂にゴールしたらおでんにビールや~と思ってましたが、休憩所はサラ地になっていました。
たしか老夫婦でやられていたように思うのですが、寂しい限りです。

ここからは新緑の樹の間越しに岩湧山と一徳坊山が望めます。
一年でもっとも葉の色が際立つ、ほんとうにいい季節です。

これで一番那智の青岸渡寺から姫路の書写山まで徒歩巡礼がつながりました。

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舞鶴から松尾寺へ

四十九日も納骨も無事済んで、暑くなる前に歩いておこうと、西国二十九番札所の松尾寺に行ってきました。
昨秋の天橋立(成相寺)~西舞鶴の続きになります。この天橋立旅行が数少ない親父との旅行で一番最後になりました。

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舞鶴といえば海上自衛隊です。親父もかつては船乗りに憧れていたので、舞鶴港観光も旅程に入れていたのですが、とても歩ける状態ではなかったことを今さらながら思い出しました。

西舞鶴から東舞鶴へ、そしてさらに松尾寺から若狭高浜までの行脚は、5月というのに照り返しの国道沿いが大半で、とてもキツかったです。

若狭富士とも呼ばれる青葉山が近づくのが励みでした。

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しかし一歩境内に入れば、そこはひんやりとした世界で、ご朱印をもらったあとしばらく涼ませてもらいました。

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帰りのバスの時刻の関係もあって青葉山登頂はなりませんでしたが、また機会があれば山頂からの日本海の景色を堪能したいと思います。

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若狭はちょうど田植えのシーズンでした。

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西国巡礼 - 穴太寺~総持寺 -

成人の日連休の初日は穏やかな冬の日だったので、前回の西国巡礼の続きをしてきました。
ルートは亀岡市穴太寺~茨木市総持寺です。
今回も30km近くあるので、いちおうヘッドランプを持参し、日が暮れても歩ける茨木市側をゴールとしました。
10時半に亀岡駅に着き、今度はバスで穴太口までショートカット。
お堂に参拝してから11時に茨木に向けて出発しました。
今回も 途中には大きな町がない、丹波の国と摂津の国を結ぶ山中の道です。
半分ほどは2車線の道路ですので、気をつけながら歩いてきました。
人にも車にも出会わず桜峠を越え、東掛の集落に入ると春日神社がありました。
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地図を見ると周辺に春日神社がいくつか点在していました。
奈良の春日大社は藤原氏の氏神ですが、このあたりも勢力範囲内だったのでしょうか? そういえば茨木市には鎌足の古墳がありますね。
少し進んだところに道標がありました。
右亀山(亀岡の旧名)阿なう(穴太)と書かれています。

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たるひ橋までは車道を歩きますが、大型ダンプが行きかうので気が休まりません。あとで調べると、南掛あたりから旧道が残っていたようですね。

交差点で山側に右折、交通量がぐっと減ります。
たるひ橋を渡って坂道を登っていきますと、再び昔ながらの集落を行くようになります。そしてほどなく京都府と大阪府の府県境を越えます。
摂津(大阪府茨木市)と丹波(京都府亀岡市)国境の道標がありました。

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管轄が変わったせいでしょうか、府県境を越えると再び細い道となります。
しかしカーブを曲がるたびに不法投棄防止の看板が現れます。いたちごっこなんでしょうね。

クマかイノシシの捕獲檻を左手に発見しながら下っていくと、ほどなく茨木市側の集落です。民家の様式が丹波のそれと少し変わったのが興味深かったです。

古い道を歩きながらいつも思いますが、本当に多くの神社やお地蔵様が街道脇におられますね。
車で飛ばしていたら見逃してしまうほど、それらはひっそり佇んでいますが、村の生活の道にあるのでしょう、お手入れは行き届いています。
自然を畏怖し敬い、生活の拠り所とし、そこに神様を祀られた日本人の歴史でもあるのでしょうね。

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神様といえば、茨木市の忍頂寺から歩いたのはキリシタン自然歩道という道でした。
上の写真、竹藪と雑木林の間の道がそうです。
このあたりは城主の高山右近の影響でキリシタンが多かったそうで、隠れ墓標やクルス山というのもありました。もちろん秀吉や家康らは激しい弾圧を加えましたが。

坂道をどんどん下っていると巨大なニュータウン造成地と第二名神の工事現場が突如として現れました。山は大きく削られ、土肌がむき出して、土曜日だというのにダンプがひっきりなしに行きかいます。ちょっと目が点になりました。

自然歩道が寸断されているので、再び車道を歩かされます。 山の手のニュータウンを大きく回りこんだところで日没、椿の花の向こうに夕陽が沈んでいきました。そして安威あたりから薄暮の中を進みます。

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そして名神をくぐり西国街道と合流する頃にはすっかり暗くなっていました。

阪急総持寺駅に到着したのがジャスト18時、7時間ノンストップ、30km弱の巡礼道でした。

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西国巡礼 - 穴太寺~善峯寺 -

晴れた日に青春18きっぷを消化しておこうと、今日は亀岡まで行ってきました。
西国21番穴太寺(あのおじ)から、京都西山の20番善峯寺(よしみねでら)までの巡礼道です。

まずは奈良線で京都に入り、嵯峨野線に乗り換えて保津峡を見下ろしながら亀岡駅へ。
そして缶入りホットお汁粉を飲みつつ、穴太寺までテクテクと小一時間の助走でした。
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京都から山を越えれば、本当にのどかな丹波の里です。
今日は昼から団扇をばら撒く行事があるそうですが、4時間前だとまだひっそりとしていました。ご朱印をもらい、善峯寺に向かいます。

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上の写真は田んぼの真ん中にあった道標で、右よしミ祢寺と書いてありますね。

資料によると善峯寺までは結構な難路らしいですね。
これは険路ではなく、高速道路やニュータウンなどで途中の道が分断され、昔の巡礼道がわかりにくくなっているという意味です。噂に違わず、何度も迷いそうになりました。

ゴルフ場の裏のあぜ道やニュータウンの中を通り、鍬形神社を過ぎると、完全に山の中に入ります。
丹波・摂津・山城の国境を行きますから、3~4時間の間、ほとんど人に会いませんでした。
山道ではなく、舗装された林道が大半なのですが、それでも車は1時間に1~2台くらいで、たまに写真のような民家がひょっこり現れます。

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寒谷と書かた電柱を頼りにひたすら歩きます。途中で大阪府となり、中畑というバスの転回場で左折、再び京都府に入り、変電所の前を通ります。
そして再び山の中に入り、人も車もほとんど通らない道をひたすら歩くことになります。

穴太寺を出てからちょうど5時間くらいでようやく善峯寺に到着。
ここの山門は見事なものですが、ちょっと奈良や京都では見かけない様式です。
徳川綱吉の母である桂昌院がスポンサーとなって復興させたらしいので、江戸の様式なんでしょうね。なんとなく東照宮の陽明門にも似ています。

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ここからの京都市街と、その向こうの比叡山のパノラマをみるだけでも、入山料は高くないと思いますよ。龍のように横に延ばされた五葉松も一見の価値ありでした。

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しかしお寺からJR向日町駅までは遠かったです。。。
今日もトータルで30kmほど歩かせていただきましたwww。

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西国巡礼 - 播州 清水寺 -

世間では大掃除とか正月の準備とかでてんてこ舞いだそうですが、
ワタシは朝早くから播州に逃亡してました。
てか西国三十三所観音霊場を徒歩巡礼してきたんですけどね。

まずは福知山線で新三田駅の二つ向こうの相野駅で下車、
立杭焼の窯元を数軒横目に見ながら、ひたすら西へ西へ向かいます。
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山道は清水寺への往復1時間半だけで、ほとんどが歩道のない車道です。
といっても交通量は少ないのですが、その分スピードアップされる傾向が。。。
で車にはねられないよう、目立つオレンジのジャケット着用です。

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2時間後にようやく西国二十五番の清水寺の登山口に。
ここから山道を登り詰めて本堂に到着、ご朱印をゲット。
あと残るは5寺となりました。

ここは結構内陸なんだけど、明石海峡大橋が見えるんですよ。
ほんで薬師堂には十二神将があって、どっかで見た作風だと思ったら、せんとくんの作者の薮内先生が造られたものでした。

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参拝のあとはJR加古川線の社町駅までひたすら歩くだけ。
清水寺から鴨川への下り道は完全な山道で、落ち葉に埋もれる悪路でした。
踏みしめられた道ではないので、登山靴でないとキツいかもしれません。

ふもとの集落に出て、丹波街道に入ります。
道標には、右 きよ水・三田・大阪 左 京・伊勢・古市・篠山と彫られてました。

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集落があると昔の街道が現れるのですが、それ以外は歩道のない国道を歩きます。
大型トラックとすれ違うたびにヒヤヒヤしましたが、ほとんどの車はセンターラインをオーバーしてよけてくれました


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遍路はひたすら歩くだけですが、歩いて初めて見えてくるものも多いです。

ウォーキングは正しい姿勢で行うと、身体にものすごくいいんですよ。
ポイントは腰・肩・耳のラインを一直線にする、背中とお腹をつける感じ、肩甲骨を後ろにした時は同側の骨盤は前に、かかと着地&つまさき蹴りなどですね。
登山用の両手ストックがあれば、リズムが取りやすいです。

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最後の方はへろへろでフォームが崩れてましたけどね。
それと平地に出てくると、道が多すぎて旧道を探し出すのに苦労しました。

日没と競うようにJR加古川線の社町駅に到着。
ちょうど8時間、30kmを越える歩きでした。

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西国巡礼(熊野古道) - 紀伊宮原~湯浅 -

前回の続きで、今度はJR紀伊宮原駅から湯浅まで南下しました。

のんびりした宮原の里をあとにして有田川を渡り、得生寺糸我稲荷に参拝します。
ここには恵比寿神社も祀られていました。

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集落を過ぎるとミカン畑の中の登り道となります。傾斜がキツくなり休憩がてら後ろを振り返ると、いかにも紀州らしい風景が広がっていました。

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さらに森の中の道を登りつめていきますと峠に到着。紀南方面や太平洋を見下ろすことができました。

こんどは急坂を転がるように下りていくと逆川王子がありました。ここで腹ごしらえをして湯浅に向かいます。峠というには穏やかすぎる丘を越えれば湯浅の町です。水路沿いに十数分も歩けば、昔ながらの街並みが残っていました。

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湯浅といえばお醤油ですね。実際に野田や銚子は、この町出身の人が移り住み、技術を伝えたのだそうです。町の中ほどに醤油記念館がありました。

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御坊までの古道は山中を行く険路なのだそうで、また日を改めて挑戦ですね。
今日は昭和の香りが色濃く残る湯浅の町をゆっくり楽しんできました。

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西国巡礼(熊野古道) - 紀伊宮原~紀三井寺 -

青春18きっぷを使って和歌山県へ行ってきました、。
有田市の紀伊宮原駅から和歌山市の紀三井寺駅までです。


JRは海沿いに走りますが、熊野古道(西国三十三所巡礼道も重複する)は峠を3つほど越える山中のルートです。

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紀伊宮原駅で下車、踏切を渡って北上すると、何体かの石仏がまとめて安置されているところがあります。
行き倒れになった人などを弔うために彫られたものだそうで、昔の旅人は袖に葬儀用の貨幣を縫いつけていたと言われています。

まもなく道は登り坂となり、集落を突き抜けるとミカン畑の中を行くようになります。振り返れば有田川が俯瞰され、いかにも紀州といった情景でした。

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太刀の宮を過ぎればほどなく峠に出ます。そしてゆっくり下れば太平洋と下津の町が遠くに見えてきます。

拝の峠からミカン畑の中を一気に下りきると、そこは市坪という集落です。一坪王子には1歳児の泣き相撲が奉納される土俵がありました。

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橘本王子を過ぎると古道は再び登り坂となって海南に続きます。
振り返ると先ほど越えてきた山なみに建つ風力発電のプロペラが異彩を放っていました。

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山道を登りつめたところが地蔵峰寺で、裏手にある御所の芝からは海南、和歌の浦、そして友ヶ島や淡路島の絶景が広がっていました。

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ここからは竹藪の中の急坂で、転ばないように慎重に下っていくと有間王子歌碑を経て藤白神社に到着です。
ここの境内には数本の大きなクスノキが生い茂り、由縁の深さを感じます。

道は海南の市街へと入り、さらに黒江の町を経て北上、紀伊宮原駅から5時間ほどでようやく紀三井寺駅に到着しました。

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海のない奈良県に住み、海を感じない大阪市内で働いているので、和歌山の旅はとても開放的な気分に浸れますね。
それと海南市で見た海抜○mの標識は、津波に対する心構えを意識させてくれます。

大阪市内も御堂筋より西は液状化や津波の可能性が高いんだそうですよ。

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西国巡礼 -上醍醐寺から石山寺へ-

彼岸になれば暑さが和らぐといいますが、朝晩は冷え込んできましたね。
今日は雨のせいか、日中でも肌寒いくらいです。

さて昨日は久々に西国三十三所の巡礼道を歩いてきました。
紅葉の山歩きの準備とトレーニングも兼ね、
宇治の六地蔵から
上醍醐寺岩間寺を経て大津の石山寺までの区間です。
これで和泉の施福寺から河内、大和を経て京の町がつながりました。

しかし途中300~400mのアップダウンが3セットもあり、しかも日中は気温が上がって、ヘロヘロな行脚でしたwww。

上醍醐寺の十一番札所の准胝堂(じゅんていどう)は再建されたにも関わらず、先年に落雷を受けてしまいました。ご朱印は麓の醍醐寺金堂でいただきます。しかし岩間寺経由で石山寺に抜ける巡礼道を辿るため、ご朱印をいただいたあと、女人堂の前から山道に入ります。これがけっこう長く、標高差は400mほど、時間にして1時間かかります。

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足がパンパンになりそうな頃、ようやく道は平坦になり、前方の山上に立つお堂が見えてきます。醍醐寺といえば太閤花見や三宝院の庭園などで雅な印象を受けますが、もともとは修験道の山岳寺院だったのですね。道のりが厳しくてお堂も質素なのも頷けます。

写真は醍醐の名のゆかりとなった醍醐水の「泉」です。左端の水栓からいただけるようになっています。
そこから石段を少し登ったところにある准胝堂の跡地は痛々しい更地になっていました。

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五大堂、薬師堂、開山堂にお参りし、西笠取に下りる山道に入ります。志ゆん●い(巡礼)道と読むのでしょうか、江戸時代の道標がありました。

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こちらは「ゆわま(岩間)みち」と書いてあります。「いわまみち」よりも優しい響きですね。

山道を一気に下ると集落があり、ほとんど車の通らない車道を歩きます。西笠取への途中で左折し、左手の尾根に向かってつづらおれに登り直します。古い巡礼道もあるようですが、現在は通行不能になっているのでしょうか、「道悪く進入禁止」の看板があり、東海自然歩道の標識は車道沿いに立てられています。

峠まで登り詰めると清龍宮霊杉がありますが、またまたふもとの集落まで下ります。精神や足に強烈なダメージがきますね・・・(ToT)。

このあたりの山里は本当にのどかなところですが、違和感があったのは棚田のほとんどに金網の柵と電気バリアが施されていたことです。猿か獣が出没するのでしょうか?
またその棚田の一部は草がぼうぼうで、今の日本のコメづくりの現状を垣間見たような気がしました。

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道はふたたび登りとなり、足がもつれてきた頃にようやく奥宮神社に到着しました。ここから尾根沿いに10分ほど進んだところ、桂の木に囲まれた地に岩間寺がありました。

ご朱印をいただいて下山開始、ここからは石山方面は下り道オンリーなので、のんびり歩きます。麓では早くも稲刈りが行われており、残暑にもかかわらず彼岸花が律儀に開花していました。

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町なかにはいると車優先の世界となり、排気ガスを浴びながら石山寺を目指します。六地蔵駅を出てからちょうど6時間後に山門に到着しました。

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醍醐寺(麓の三宝院の方)から大津の町外れまでの5時間ほどは自動販売機のない山里や森でしたが、昭和の頃って自販機がなくて当たり前でした。
日本中の自販機がなくなれば原発も数ヶ所不要になる・・という理想論はおいといて、人類はどこまで便利さを放棄できるんだろうか?と考えてしまいました。

今のままで子供たちに美しい地球を残してあげることができますか?

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