カテゴリー「映画・テレビ」の2件の記事

久々のクリント・イーストウッド

Grantrino4 小さい頃、祖父や両親に手を引かれて行った奈良の映画館で、友人オススメの作品を観てきました。

観たのは「おっぱいバレー」ではなくクリント・イーストウッド主演&監督の「グラン・トリノ」ですが、「流石イーストウッド!」と唸らせられる出来映えでした。「マジソン郡の橋」「ミリオンダラーベイビー」「硫黄島からの手紙」「チェンジリング」などのヒット作を立て続けに飛ばしている彼ですが、この作品が一番奥深くて味わいがあるのではないでしょうか?

主人公は79才の老人で、クリント・イーストウッドの実年齢でもあります。ていうか、脚本家は彼をモデルに書いて、売り込んだらしいですね。

Grantrino2 さてその内容ですが、詳しくはオフィシャルHPをご覧下さい。

http://wwws.warnerbros.co.jp/grantorino/#/top

俺は迷っていた、人生の 締めくくり方を

少年は知らなかった、人生の始め方を

かつてアメリカといえば最強の国であり、あらゆるところで輝いていました。そしてワタシは学生時代、そのアメリカに憧れ、中西部から西海岸を2週間ほどバスで旅したことがあります。

アメリカはその内側に、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などの数多くの傷痕をかかえてきました。また白人主導だったこの国も、今では数多くの民族が自己主張を始め、とうとうアフリカ系の大統領が誕生しました。

Grantrio_2 主人公の老人ウォルトは、強いアメリカの象徴であるフォードの工場で働いてきたことを誇りに、家の入り口には星条旗を掲げ、部屋や庭をこまめに手入れし、愛車グラン・トリノを磨き上げるのが日常となっています。

そして彼は朝鮮戦争で人を殺めた過去を心の闇にしまい込み、有色人種を蔑みながら生きてきました。妻を亡くし、息子達には敬遠され、教会の若い神父を青臭いとののしりながら、偏屈といわれる日常を送ります。

住んでいる町からは白人がどんどん出ていき、いつのまにか治安の悪い地域になってきました。そんなおりに彼が毛嫌いする米食のアジア系民族が隣りに引っ越してきます。

とまぁ、良くできた脚本によって、テンポよく話が進んでいきます。

と、映画の話はこれくらいにして、最後に辛口評論家・前田有一氏のWEBを紹介しておきましょう。

http://movie.maeda-y.com/movie/01274.htm

Naramati1 映画の主人公・ウォルトの年齢は79才ですが、これはウチの親父の歳でもあるんですね。

自分自身には戦争経験はないけれど、兄を戦場で亡くし、朝鮮戦争の景気によって戦後から脱却し、ベトナム戦争の頃の高度成長期では、歯科医院を繁栄させながらワタシを育ててくれました。

日米の差はありますが、主人公とその息子達に感情移入できるのも、ワタシら親子と年齢構成が同じだからでしょうね。

さて映画館を出てからならまちをぶらついてきました。

以前から気になっていたプラモデル屋さんです。ここも例にもれずおばあさんが店番をしていました。商品もそんなに揃えているようには見えませんでしたが、看板だけは新しく塗り替えられていたのが印象的でした。

Naramati3 お墓参りを済ませ、町を一巡りして、猿沢池近くの元花街まで戻ってきました。

先日の廃屋が目立った郡山と違って、この辺は小ぎれいな建物が数多く残っています。その反面、ヌード劇場や場末のバーなどは時代に取り残されたように、傍らに押しやられている感じです。かつては妖しげな光がこぼれていたであろう格子窓のお店は、今ではお洒落なカフェや飲食店などに模様替えしていました。

島国である日本は、おおざっぱにいえば単一民族ですから、誇りある大和文化を継続していきやすいのでしょうね。

1300年前から伝統と誇りを持ち続ける町と、多民族ゆえに基盤がぐらつき始めたアメリカとを対比させながら、小雨降る町歩きを楽しんできました。

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殯(もがり)の森

Photo 休診にしている水曜日の午後、河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」を観にシネカノン神戸に行ってきました(このブログの写真の一部は、公式HPからお借りしています)。

8月1日は映画の日ですから1000円で観られるのですが、関西というか西日本でお昼の時間帯に上映しているのはシネカノン神戸だけでした。午前最後の患者さんの治療が終わると、JR環状線&神戸線に駆け込みダッシュし、14:20の上映時間にギリギリセーフです。

Mogarinomori この作品はカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した、本当に河瀬監督らしい映画でした。余計な装飾を削ぎ落とし、「私はこう表現したけど、あなたはどう思う?」という感じで問いかけてきます。でもその手法は娯楽映画の対極にあるので、一般的に受け入れられにくいでしょうね。おそらく退屈で眠い・・・という批評も多いと思います。

作品中よく使われる「こうしゃなあかんこと、ないから(こうしないといけないという決まりはないよ)」という科白は、「観客動員よりも、自分が撮りたいように撮る」という監督自身の思いなのかもしれません。

ワタシは河瀬監督と同様、奈良で生まれ育ち、また監督の母校の一条高校はワタシの小学校の校区内で、しかも数年ほど歯科検診に行ってましたから、けっこう贔屓目というのはあると思います。そのつもりで読んで下さいね。

Photo_5 さてこの映画のテーマのひとつは「生と死の間にある結び目のようなあわい」なのだそうです。それを「認知症」や「奈良の田舎の風景」や「夏の森」を媒介にして、淡々と静謐に訴えかけてきます。ですから観る方にとっても、自分の死生観というか哲学でもって消化し、反芻しながら受け止めないと、退屈きわまる映画になってしまいます。

というか、ハリウッドに代表される娯楽映画自体の方が逆にサービス過剰で、例えば「風」を表現するにしても、台風のような効果音は必ずしも必要ではなく、樹々や水田がそよぎながら葉の裏表の微妙なコントラストを見せるだけでも十分ですし、それだけで怖れや心の揺れなどを間接的に訴えることができるでしょう。

次に「森」です。我々は「森」に対しては森林浴というか、どうしても酸素やマイナスイオンを放出してくれる快適な自然を想像しがちですが、実際の奈良の夏の森は快適とはほど遠く、そこはむっとする草いきれに満ち、虫たちが飛び交う汗だくの世界か、大木に日射しを遮られた湿り気のある薄暗い世界です。しかも滅びてゆく秋や冬の序章として、夏はあらゆる生き物がエネルギーを爆発させる季節でもあるんですね。いずれにせよ文明の快適さからは程遠い場でもあります。

Photo_3 そして夜のとばりが下りると、「森」は踏み込んではいけない漆黒の世界となります。草むらのそこかしこに獣たちの視線を感じるだけではなく、目に見えない何かが存在するような、月明かりが頼りの、そんな畏怖の世界になります。

そう、森を出て文明という光を手にした人類にとって、「森の中」は目に見えない何かが存在し、あの世とこの世が混在し、死者と生者が出会える空間でもあるのですね。幾度となく山歩きしてきたワタシですが、夜の森の一人歩きはいまだに馴染めません。

もしこの映画の批評に「美しい茶畑の風景」などと書かれてあって、そのような叙情的な映画を期待して行かれると足元をすくわれます。先述のように日射しが照りつける真夏の田舎は快適からほど遠く、それゆえ畑から盗んだ西瓜をむさぼり食べるシーンが、「生」や「エロス」の生々しさを前面に打ち出してきて、それがとても印象に残りました。でも河瀬監督独特の手ブレのあるカメラワークは、人によっては疲れるでしょうね・・・。

Photo_2 さて未熟なワタシの映画評はこれくらいにして、撮影が行われた「田原の里」は、大文字送り火で有名な高円山(たかまどやま)の裏手にあり、ワタシの友人である箱崎竜平君がR工房を営んで、陶芸に励んでいるところでもあります。

田原の里は奈良駅から車で30分もあれば行けるのですが、その途中の鹿野園(ろくやおん)町の手前には市営斎場があり、今までに祖父祖母、叔父叔母、母親、大学の恩師などを送り出してきました。奈良市民だったワタシにとっても、今は亡き大切な方々を思い起こし、自分の死と向かい合う時間をそっと差し出してくれる、そのような映画でした。

余談ですが、奈良市東部には鹿野園を始め、誓多林、忍辱山、大慈仙、菩提山など仏教の聖地とゆかりの深い地名がつけられているところがあります。このように仏教が生活に根付いている点で、奈良は他都市と異なっているんですね。

いつの間にか、今年も「なら燈花会(とうかえ)」の季節になりました。漆黒の闇に浮かぶ蝋燭の火は、キレイだな・・・と単に見つめるものではなさそうですね・・・。

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