カテゴリー「書籍・雑誌」の2件の記事

「片岡義男」と「わたせせいぞう」

Watase2 門司港駅近くにある「わたせせいぞうと海のギャラリー」については前回の記事で書きました。

また、わたせさんの作品は「アップルファーム」のHPからでも購入することができます。

Watase このようにわたせさんの作品のほとんどにはカップルが描かれています。わたせさんは神戸で生まれ、北九州で育ちましたので、必然的に海の風景が多くなるようですね。

左写真は東京駅ですね。遠距離恋愛のカップルをイメージされたそうです。

前の記事にも書きましたように、わたせさんが一躍有名になったのは「ハートカクテル」という作品ではないでしょうか?毎回、お洒落な男女が登場していました。

84nenngaj そしてその影響を受けていたワタシは、わたせさんのイラストを真似し、スクリーントーンを使って年賀状に仕上げたことがあります。

余白には片岡義男の小説の一節も書き加えました。1984年、ちょうど25才の時でした。

84nennga2j 小生意気にも「若さから渋さへ 25年目のひとくぎり」と締めています(笑)。

あれからちょうど倍の時間を生きてきました。そして門司港で再びわたせさんのイラストに出逢えたことに、不思議な縁を感じています。

そうそう、次の年の年賀状は、フォルクスワーゲンのビートル(かぶとむし)をイラストに使いました。残念ながらその年賀状は行方不明ですが、どこかの家で眠っているかもしれません。

84nennga3j_2 片岡義男の作品といえば「スローなブギにしてくれ」「湾岸道路」「メインテーマ」などが映画になりましたね。

赤い背表紙の角川文庫は、今でも捨てることができず、数十冊が本棚で眠っています。

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森と氷河と鯨

Photo

写真展に行った影響もあり、「ノーザンライツ」以来、久々に星野道夫氏の本を手に取りました。本というより写真エッセイなのですが、ページをめくるごとに飛び込んでくるアラスカの風景、動物、そしてそこで暮らす人々に目を奪われてしまいます。

豊かな四季で、そこに住む人に寄り添う日本の自然と違い、アラスカの自然は人を寄せつけず、それゆえに極限に生きる動物を通して、あるいは動物をも寄せつけない無機的な風景を通して、「地球の生命」を我々に強烈に訴えてきます。

いえ、「地球の生命」を越え、はるか創世記の「宇宙の生命」まで「思い」を馳せよ・・と心の奥へ囁きかけます。そしてその「思い」は、長年自然とともに生きてきたイヌイットの神話に向かい、その物語は悠久の時の流れを感じさせてくれます。

ベーリング海が陸地だった約18000年前、彼らモンゴロイドはユーラシア大陸より渡り、長い長い年月をかけ、ワタリガラスに導かれて山と氷の壁を越え、北アメリカに広がりました。そしてそれぞれの大地に満つる魂を敬い、自然とともに生きてきました。目に見えるものに価値を置く現代の文明よりも、目に見えないものに価値を置く社会を築いてきた彼らの方が、実はより文明的・哲学的ではなのではないか・・・そんな風に思わされました。

思えば私も30代までは、全国の野山や川を渡り歩いていました。再びあのときのように漆黒の中で眠ったり、満天の星を仰いでみたりしたいな・・・と感じさせる星野氏の著作です。

しかし彼はカムチャッカでヒグマに襲われて星となり、この本が最後の執筆となりました・・・。

●●抜粋●●

夜になり、森から少し入った川原で、野営をした。久しぶりに晴れ上がった夜で天井を仰げば、黒い木のシルエットに囲まれるように星空があった。無数の星のまたたきは、時間のもつ意味をいつも問いかけてきた。一万年前の光が今届いているということは、そして無数の星がそれぞれの光年を放っているというということは、綿々と続いてきた宇宙の時間を今一瞬のうちに見ていることなのだ。ちりばめられた星の中に、一定の速さで、ゆっくりと動き続ける光があった。太古のクマの森から見上げる人工衛星は、人間の存在の不思議さ、いとおしさを静かに語りかけてきた。星空のきらめきが宇宙の歴史を一瞬に伝えるように、それもまた、地球がたどったひとつの歴史を同じように見せていた。頭上には、北の国の星座、北斗七星がよこたわっている。その柄杓を五倍に伸ばした場所に北極星。それは子どもの頃、反芻するように覚えた星の世界だった。が、あと一万数千年もたてば、その北極星の場所さえ他の星にとってかわれるという。すべての生命が動き続け、無窮の旅を続けている。一見静止した森も、そして星さえも、同じ場所にはとどまっていない。ぼくは、”人間が究極に知りたいこと”を考えた。一万年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ、人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来へ向かい、何の目的を背負わされているのかという人間の存在の意味・・・・・・・そのひとつひとつがどこかでつながっているような気がした。けれども、人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るのだろうか、それとも失ってゆくのだろうか。そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それが知り得ないことで私たちは生かさ れているのではないだろうか。

●●●●

この本を入院中の山好きの友人に送ろうと思います。病室は人生を振り返らせ人を哲学者にさせる小さな空間です。

でも逆に世の中の喧噪から隔離されるがゆえに、人の心は内面へと広がっていくのではないか。圧倒されるような大自然の北アラスカ、苔むす神秘の森の南東アラスカ、人類の壮大な旅の足跡を印すベーリング海、それらの写真に満ちている神秘的な力で、生命の持つエネルギーが賦活できるのではないか・・・。

そんな風に思いながら梱包しています。。。

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