カテゴリー「大和路の四季」の18件の記事

吉城園

Yosiki5 5月のカラッとした気候が懐かしいくらい、じっとりした毎日ですね。JR大和路線から見る奈良盆地は、水が張られた田圃が続きます。

その昔、奈良盆地は湖だったそうです。梅雨に近いこの季節、上空から見ると各々の集落は、きっと島のように浮かんで見えることでしょう。

さて先日、某幼稚園での歯科検診の帰りに、吉城園(よしきえん)という庭園に行ってきました。かれこれ30年以上前、この前を通って高校に通いました。でも実際に入園したのは初めてです。調べてみると、この県営施設が一般公開されたのは20年ほど前からなのだそうです。

写真右手が吉城園の入り口で、左手はツツジの庭園がキレイな依水園です。その後ろに、東大寺南大門の屋根越しに若草山が見えています。

Yosiki3 Yosiki4 建物の中には入れませんが、庭園をめぐるだけでも落ち着きますよ。

しかも250円という入園料なので、奈良に来られた時は是非ともお立ち寄り下さいね。

今の季節はツツジがキレイですが、所々にモミジも植えられているので、紅葉の季節もいいかもしれませんね。

Yosiki1Yosiki2 それと茶室の奥には苔が美しい庭園があります。

雨に濡れた苔を愛でて歩くのもいいかもしれません。

この日は1時間弱ほど庭園をぶらついてきました。他の入園者は外人さんが3名と、あずまやで読書されていた品のあるご婦人だけでした。

東大寺南大門前ではいつも修学旅行生や団体観光客などでごった返していますが、そことは対称的に、静かな奈良を楽しむことができます。

Yosiki6 そうそう、近くの奈良県庁の屋上もオススメスポットです。

ここからは奈良公園がダイナミックに俯瞰でき、東大寺の伽藍の大きさに圧倒されます。

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菜の花の 中に城あり 郡山

Koriyama6  と、タイトルを入力したとき、最初は「菜の花の 中にシロアリ… 」と出て、一気に疲れたワタシです。sad

さてこの連休は身体を休めるために遠出をしませんでした。というか5/1で定期券が切れたため、まぁ神様が「家でゆっくりしぃ~」と言ってるんだと解釈して、ぼちぼちと家の中の整理をしていました。

それだけでは身体がなまるので、息子の通学チャリにまたがって、隣町である大和郡山にも行ってきました。

どうも奈良県に住んでいると、飛鳥時代、白鳳時代、天平時代以降のモノは価値が弱いような錯覚を覚えます。藤原時代?何それ?って感じですから、ましてや安土桃山時代以降に栄えた町大和郡山は、今まであまり散策のために歩いたことはありませんでした。

Koriyama5 そんなわけで城内に足を踏み入れたのは、奈良県に50年以上生きてきて初めてのことです。

お城の北側から西側を走る道路は、奈良斑鳩を結ぶ主要道路ですから、今まで何度も走っているのですが、本当に石垣だけを外側から見るだけでした。

よく考えてみると、大和郡山城には現存する天守閣はなく、また櫓や塀も近年になってから再建されたものですから、観光客にとってはそんなに魅力がなかったのかもしれませんね。

写真は本丸跡にある柳沢神社です。そう大老格で有名な藩祖・柳沢吉保を祀っています。そしてこの神社の裏手に天守跡があります。

Koriyama4 お城を造るには膨大な石材が必要です。この郡山の地に本格的なお城を築いたのは、筒井順慶豊臣秀長、そして増田長盛らですが、彼らは大和国中から石を集めさせました。その中には平城京の羅城門の礎石や、多くのお地蔵様も含まれていたそうです。

写真手前の石垣にもお地蔵様が組み込まれていて「さかさ地蔵」と名づけられています。基部の角張ったところを外側にした方が石垣としては安定したのでしょうね。お顔は逆に内側を向かれておられました。

そしてその近辺には、後から小さなお地蔵様が持ち込まれ、並べられるようになりました。

Koriyama9 お城から出たところ、つまり大手に当たるところに菊屋という有名な和菓子屋さんがあります。

ここの御城の口餅(通称しろのくち)はひとくちサイズなのですが、表面のきな粉や中の餡のマッチングがとても良くて、ワタシの好物でもあります。かつて秀吉も城内でのお茶会には、この店の和菓子をたびたび嗜まれたそうですね。

そういえば奈良県のお雑煮は白味噌仕立てで、きな粉をつけていただくのですが、これは他府県の人にとっては「え~っ!(@_@)」と言われる雑煮ネタなんですね。

Koriyama8Koriyama14_2  町の中をぶらついてみました。道の真ん中を小川が流れているところが紺屋町。藍染めをこの川に晒していたそうです。

また大和郡山城の外堀の内側はいわゆる惣構えと言われる城郭都市でした。

最近になって2車線の道路が町中に造られましたが、ほとんどの地域は昔ながらの細い道で、一方通行になっています。町の名も材木町、豆腐町、鍛冶町、塩町、魚町、雑穀町と趣のある名が続いています。

Koriyama15 Koriyama12_2 Koriyama11_2 そして少し町外れに行けば、独特の3階建ての木造建築が立ち並ぶ一画があります。

かつては遊郭街として、奈良はもとより、河内や山城からも多くの旦那衆が訪ねてきて賑わったのだとか。今は廃屋もかなり見受けられました。

Koriyama10Koriyama20  大和郡山といえば、金魚を思い浮かべる人も多いでしょうね。町を取り囲むように金魚池が並んでいます。

これから夏祭りに向け、多くの金魚が育っていくのでしょうね。

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修二会(お水取り)2009

09omizutori3 この冬、奈良では雪が積もった記憶がありません。

なぜか暖かいままに3月を迎え、今年も修二会(お水取り)の季節となりました。

昨年も記事にしましたが、水曜は午後から休診なので、今年はお松明も見ることができました。

バスの時刻とうまくかち合わなかったため、JR奈良駅から二月堂まで駆けるように歩き、19時からのお松明(たいまつ)になんとか間に合うことができました。

09omizutori7 そもそもお松明は、二月堂への石段を上がる僧の足元を照らすために、世話役の童子さんが担ぐものです。

ですから僧の数だけお松明が出るのです。

僧が修行のために堂内に入ったら、役目を終えたお松明は舞台造りの桟から外にせり出して、南側へと向かいます。

この時にくるくると回して火の粉を落とすのですが、これがTVなどで放映するシーンですね。

信者さんたちはこれを拾い集めて家に持ち帰り、その年の家内安全のお守りにします。

09omiizutori6 09omizutori5 今日12日というか13日未明、お水取りはクライマックスを迎えます。

この日のお松明はいつもより大きめの籠(かご)松明を使用しますので、火の粉も一段と激しく降り注ぐのですね。

写真は明日の出番を待つ籠松明ですが、これらの産地は東大寺の寺領というか、昔から決まっていて、厳正な儀式の元に、奈良まで峠を越えて人力で運ばれてくるのですね。

このようなところでも奈良時代より綿々と続く文化の奥深さを感じました。

09omizutori 普段はまったくと言っていいほど夜間は人影のない冬の奈良公園ですが、この季節だけは鹿も鹿せんべいのご馳走にあずかることができます。漆黒の闇に目をこらすと、あちこちで鹿たちが眠っていますが、元気な鹿は、参拝ルートで待ちかまえています。

雲の切れ目から満月が顔を出したとき、大仏殿の屋根の『鴟尾』 (しび)が金色に光り輝きました。流れる雲を背景にしたそれは、この世のものと思えないほどとても幻想的で美しく、まるでこの世とあの世との間の道標のようでした。 先日亡くなった高校の同級生を思い起こしながら、手を合わせて彼の冥福を祈りました。合掌。

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薬の町・高取

奈良県の県庁所在地は言わずもがな奈良市です。ところが奈良市は奈良県の最北端に位置しているので、奈良市以外の住民にとっては県庁などに行くのが面倒です。

ワタシは奈良市で生まれ育ち、高校まで奈良市内に通学していたので、逆に奈良市以南の地域には縁遠かったのです。大阪や京都に行く方が、はるかに頻度が高く、お隣の大和郡山が城下町であることを確認したのも中学生の頃でした。

Tosa1_2 そんなこともあって高市郡高取町という地域には同級生がいたり、吉野に行くときに通過したりしても、実際に町の中を自分の足で歩いたことはありませんでした。

薬の町、壺阪寺のある町というのは県政だよりなどで知識を得ていましたが。。。

しかしよく考えてみれば、オフロードバイクにまたがっていた学生時代、吉野からの峠越えの途中で、何気なく高取城址に立ち寄ったことはあります。

Tosa2 そんな30年前のことを思い出しながらネットで検索してみると、近鉄壷阪山駅から城址まで数キロで行けることがわかりました。たまたま昨日は穏やかな冬の日だったので、リハビリのウォーキングがてら、ふらっと行ってみることにしました。

http://www.takatori-guide.net/key_shiro_ezu.html

高取城は山頂一帯に建てられたお城ですが、土佐と呼ばれた植村家二万五千石の城下町はその山のふもとにありました。今でも上写真の薬屋や医院のように、当時を偲ばせる建物がたくさん残っています。

Tosa4 城に向かう街道筋には、このような長屋門のある武家屋敷が何軒か見られます。

奈良盆地にある普通の名家の屋敷と違うところは、敵の侵入を防ぐための様々な工夫がなされていることです。

敵が玄関まで辿り着くまでに、あちこちから攻撃できるようなつくりになっていますが、今でも悪質訪問セールスにも対応できるかもしれませんwwwww。

Tosa5 集落のもっとも高いところにひときわ立派なお屋敷がありました。

ここは歴代藩主植村家のお屋敷で、今でもご子孫が住んでおられるそうです。

ちなみに現高取町長は、植村家忠氏なんですね。大学同窓会を奈良で開くときに一度お世話になったことがあるのですが、その頃も「殿」と呼ばれておられました。

Tosa6 土佐の街並みを抜けると、山道に入るまでのどかな風景が続きます。途中で俳人の阿波野青畝の生家の標識がありました。

道の傾斜がきつくなり、植村家の菩提寺「宗泉寺」を過ぎると、城址への本格的な登りとなります。駅からここまでは約3kmほどで、写真を撮りながら歩いても1時間もかかりません(次の記事に続く)。

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師走の吉野山 その3(奥の千本)

本日3つ目の記事です。その1その2に続けてお読み下さい。

Okusen1 さて歩くのにも疲れてきた頃、金峯神社に到着。吉野駅からここまで8km弱の登り道です。さすがに年末にここまで来ている人は見かけませんでした。

神社の境内を過ぎてさらに登り道を山の中に入り、道標で「せっかく登ったのに勿体ないな・・」と思いつつ谷間に下りていくと苔清水といわれるところに出ます。

とくとくと落つる岩間の苔清水 汲みほすほどもなき住居かな

後年ここを訪れた芭蕉

露とくとく 試に浮世 すすがばや

春雨の 木下に伝ふ 清水かな

と詠んでいます。芭蕉翁もこの地に来たのかと思うと、感無量になりますね。

Okusen2 苔清水から少し歩いたところに西行庵が建っています。

もちろん西行が住んでいた建物ではありませんが、山中の奥深くにありながら、樹々の合間をぬって日射しが降り注いでいます。西行といえば、

願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの もち月のころ

が有名ですね。

庵が建っているのは急斜面の谷間にある貴重な平坦地ですので、もともとは寺院か何かの跡だったんでしょうね。明治維新の廃仏毀釈後、このあたり一帯は大きなダメージを受けたそうです。

Okusen3 西行庵でしばしの日向ぼっこの後、最終目的地である青根ヶ峰に向かいます。

この道は山上ヶ岳に続く奥がけの道ですから、途中から女性は入山できません。いわゆる女人結界があります。

修学旅行の登山でも、男子は山上ヶ岳、女子は結界のない稲村ヶ岳に分かれる学校もあると聞きました。

Okusen4 吉野駅から青根ヶ峰までは標高差700m、約3時間の行程とみていいでしょうね。ただし頂上は樹木で覆われているため、眺望はききません。

山上ヶ岳の方に少し歩けば伐採されている斜面がありますが、そこからだと高野山方面が望めます。

奥がけの道ですが、学生時代に青根ヶ峰~山上ヶ岳山上ヶ岳~弥山を歩いていますので、一度弥山から前鬼方面に歩いてみたいものです。西行は2度ほど踏破したらしいですが。

Okusen5_2 帰りは古典で学んだ「象の小川」を経て宮滝に下山する山道をとろうと思ったのですが、すでに3時を回り、途中で日が落ちることになる心配があったので、来た道を引き返すことにしました。

案の定、下千本の七曲がりあたりで、陽が沈もうとしました。街灯のない山道ですから、駅まで急ぎ足で駆け下りていきました。

下調べ不十分で目的地が変わりましたが、充実した一日でした。桜の花が舞うお茶碗と、お店で包んでくれた柿の葉寿司のお土産を手に電車の人となり、ほとんど人のいない車両内で祝杯をあげました。

これで今年の日記は終了です。西行がさいぎょになりました。coldsweats01

皆さん、よいお年をお迎え下さいませ。

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師走の吉野山 その2(上千本)

その1から続きます。

Nakasen1 吉野の町を後にして少しずつ高度を稼いでいくと、上の千本のエリアに入ります。

桜の木は冬になると葉を落として冬枯れの状態になりますが、ところどころ、こんもりと葉をつけている木があります。

よく見てみると、それは桜の木に寄生したヤドリギなんですね。

周囲を見渡すと、けっこうヤドリギがあるのに驚かされました。

Nakasen2 上の千本水分神社近くまで来ると、蔵王堂がはるか下の方に見下ろされるようになります。ポスターなどでよく見かける風景ですね。

このへんまでは吉野駅からぶらぶら歩いて2時間弱くらいでしょうか?

高低差は約400mくらいです。

Nakasen3 水分神社です。ミマクリではなくミクマリ神社と読むそうです。ワタシもずっと間違って記憶していました。coldsweats01

このあたりまで来ると、観光客はほとんどいなくなりますので、静寂の世界に浸ることができます。

先日の雪でしょうか、屋根の上はうっすらと白くなっていました。

Nakasen4 神社で見た西行法師の木像です。

西行は鎌倉時代初期の武士で、出家してからは3年ほど吉野で隠遁生活をしていたそうです。

ウィキペディアによると、

勅撰集では詩花集に初出(一首)。千載集に十八首、新古今集に九十四首(入撰数第一位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。

とあります。時の流行作家だったわけですね。

Nakasen5 水分神社をあとにして高城山を越えると、東方に美しいシルエットの山が見えてきます。

関西のマッターホルンともいわれる(少々大げさかも)高見山ですね。

冬になると霧氷が美しく、王寺付近の通勤電車からも、その白い姿が望めます。

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師走の吉野山 その1(中千本)

土曜日の午後でも開いている王寺の郵便局へ自転車で向かう途中、奈良盆地を取り巻く山々の隙間から、大峰山や高見山が顔を出していました。明日も好天が続きそうなので、大峰山系のひとつである観音峯行きを決めました。

Zaou1 下市口駅発の天川村行きのバスに乗るため、近鉄電車の人となります。橿原神宮前駅からは単線となり、乗客がまばらな電車はのんびりと進んでいきます。

ようやく下市口駅に到着。10時15分発のバスに乗ろうと時刻表を確認したら、ギョエー!!coldsweats02、その時刻のバスbusは12/1から冬期運休に入っていたのでした。あぅあぅ・・。crying

で、目的地を奥の千本西行庵に変更しました。

Zaou2 吉野駅まで再び電車の人となり、そこからテクテクと吉野山の最高峰・青根ヶ峯に向かいます。

蔵王堂ではちょうど護摩焚きの行が行われていました。

太鼓の音が身体中に響いてきます。通りがかりの旅人に過ぎないワタシですが、今年1年の区切りをつけるべく、無の境地にひたって手を合わせました。

Zaou3 50年以上奈良県人をやっているワタシですが、吉野はまだ3回目です。しかも桜の季節には一度も訪れていません。

通学通勤の足だった近鉄電車のポスターでは、吉野山の桜の風景を何度も見ているのですが、雑踏がキライなので、これからも見ることはないかもしれません。

師走の暖かな日にもかかわらず観光客もまばらで、まだ正午前だというのに、蔵王堂の柱は長い影を落としていました。

Zaou4 昨日よりは雲が多いお天気で、陽が翳るとやはりずんと冷え込んできます。

蔵王堂を後にして、次の目的地に向かっていきます。

吉野は尾根上に道がありますから、両脇に並んでいるお店は、入り口が1階でも裏へ廻ると3階や4階になっていることが多いですね。

こういう建て方を吉野造りというのだそうです。かつて歩いたネパールの村々を思い出しました。

Zaou5 胃腸薬の陀羅尼助丸のお店です。

薬をほとんど飲まないワタシですが、昔々祖父母がダラスケと言っていたのを思い出しました。

話は吉野紀行その2(上千本)に続きます。

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2008燈花会(とうかえ)

08touka3 今日14日で終わってしまうのですが、奈良の夏の風物詩に燈花会があります。

http://www.toukae.jp/

奈良の親父の家に行ったついでに、今年も覗いてきました。
あちこちで宣伝したり、口コミが広がっているせいか、毎年人出が多くなっているような気がします。
ポスターやHPではしっとりとしたイメージがあるものの、実際は暑さと人混みでヤレヤレ・・と感じられる方もいてるかもしれませんね。
08touka5 人気のある新公会堂前や浮御堂エリアまで行くのもメンドくさかったし、夕立のおそれもあったので、今回は興福寺境内からならまちあたりをブラついてきました。
というか、親父の家は近鉄沿線、ワタシの家はJR沿線なので、近鉄奈良駅~JR奈良駅の乗り換えのついでに、駅の近くの燈花会エリアに立ち寄った・・という感じです。
08touka4 興福寺国宝館の脇を通ると、期間中は20時半まで拝観可能だとか。
というわけで、久々に阿修羅像をじっくり拝ませてもらいました。よく見ると、阿修羅は今流行りのビーチサンダルを履いていたのが印象的でした。
そういえばレギンスをまとっていた仏像もあったような・・・。まぁ今の服装は結構オリエンタル的なファッションが多いですしね。それと阿修羅は来年春から東京上野の国立博物館に出張だそうです。
08touka2 五重塔から猿沢池に下りる五十二段エリアや猿沢池も多くの人で賑わっていました。
でもならまちエリアは地元の人しか知らないのでしょうね、人混みとは無縁で、気ままに歩くことができました。とくにもと遊郭だった元林院町の路地は人の流れが途切れる時もあって、 なかなか趣がありました。
Senman 薄明かりの幽玄の世界から餅飯殿商店街まで来ると、明るすぎて現実に引き戻されたような気がします。
さらに遷都1300年祭りのキャラクター、せんとくんまんとくんが描かれたシャッターを見たときは苦笑してしまいました。
それにしても浴衣姿のカップルが多いのは最近の傾向なんでしょうね。天神祭でも、ラブラブヤンキーカップルをたくさん見かけましたし・・・。

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奈良は初夏でしょか?

Youtien 幼稚園の歯科検診のために久々に奈良へ行ってきました。

この幼稚園は東大寺の境内にあります。正確には四天王で有名な戒壇院(堂)の裏手ですね(左写真)。

正門側は大仏池をはさんで正倉院が望めるという、絶好のロケーションです。

Sika 大仏殿の参道はいつも修学旅行生や観光客でごった返していますが、その裏手にある講堂跡まで足をのばす人はさすがに少ないです。

人付き合いの苦手?な鹿たちは、こちらまで避難して、木陰でのんびりとお昼寝です。

講堂跡からさらに北へぶらぶら歩くと正倉院があります。

Shosoin2 ワタシは奈良で生まれ育ち、中高時代も大仏殿のすぐ近くで過ごしてきたのですが、正倉院を真正面から見たことがなかったように思います。柵越しに遠目で覗いたような記憶くらいしかありません。

ひょっとしたら昔は通常は拝観できなかったのかもしれませんね。昨日は拍子抜けするくらいあっさりと入れました。

気になって調べてみたら、平日の10時~15時まで外観のみ拝観可能だそうです。日祝日はお休みですから、ほとんどの観光客はアウトですね。

Shosouinn1_2 そんなわけで出会った拝観者は数名だけでした。絵のスケッチをされていた方、定年後を楽しんでおられるようなご夫婦、そしてかつてのアンノン族のような二人連れの若い女性です。そのかわり悠久の時を感じることができました。

大仏蛍もそろそろ飛び交う季節のようです。

Kouhukuji 駅まで戻る途中で興福寺に寄ってきました。伽藍復興工事のせいか、いつも以上に広々とした印象がありました。

梅雨の合間に降り注ぐ日射しや、伽藍の上にかかる雲は、いつのまにか初夏を思わせるものになっていました。

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2008年・東大寺修二会(お水取り)

通勤帰りに久々に夕陽を見た。水曜午後は休診なのだけれど、それでも雑用に追われることしばしで、帰りの車窓から見る風景は薄暗い冬のそれが多かった。でもここ最近、確実に日照時間は延びてきているのが実感できる。いつのまにかもう春なんだね。

002_2 昨年も記事にしたように、12日夜は東大寺の修二会(お水取り)のクライマックスの日だ。今年はクイズヘキサゴンを見て(笑)家の用事を片づけてからJR法隆寺駅に向かう。JR奈良駅に着いたのは21時過ぎで、お松明(おたいまつ)を見終えた人たちが三条通を下ってくる。その人波に逆行しつつ、高校卒業まで過ごした奈良の町を、懐古の思いに耽りながらしみじみと歩いた。

JR奈良駅から30分ほどで二月堂下の参道に到着。ほとんどの人がお松明を見終えて山をおりたため、22時近くの境内は暗くて閑散としている。舞台下で火の粉を待ち受ける人もいなく、参拝客の整理のための竹柵以外はいつもの夜のお堂の風景だ。

004石段下のちょっとした空間に焚かれた火のぬくもりが、その燃える木々の香りとともに心の奥深くまで染みこんでいく。弱くなった火の向こう側には、役目を終えたお松明が、何か安堵しつつも寂ししそうな表情で立てかけられていた。10日ほど続いていたお松明も今日で終わり。最終日の今夜、上げられていたのは一回り大きな籠松明(かごたいまつ)だ。

わざわざ焚き火に暖を取りにいくほどの冷えこみは、2・3日前からなくなっていて、長居することなく焚き火をあとにする。今年は数え切れないくらい雪が降ったことは、いつか思い出すことがあるのだろうか・・・。

007 008 一般の方が抱くお水取りのイメージは、二月堂の舞台上から飛び散りながら舞い落ちるお松明の火の粉なのだけれど、それはあくまで添え物に過ぎない。

お松明は石段を登る12人の籠もりの僧達の足元を照らすものであって、メインは2月から続く数々の行(ぎょう)である。

そののひとつが12日深夜(日付は13日)に石段下の若狭井からお水を汲み上げ、お堂の観音様に供えることである。だから「お水取り」と言うのだ。

舞台に立ち、ふと西の空に目をやると、吊り灯籠の向こうに三日月が出ていた。

009 014_2 1300年間近く、絶えることなく続けられてきた修二会(お水取り)は、じつに多くの人が関わってきた。お松明1本にしても、竹、杉、そしてそれらをくくるツタなどは、それぞれを担当する信者さんたちが、三重や滋賀などから山を越えて、昔ながらの方法で東大寺まで運んでくる。

010_3 013_2 それに僧たちの衣から沓(くつ)そして行に使う小物に至るまで、寄進されるものは綿々と続いてきた大衆の信仰の現れでもある。そのような信者さん達にとっても、修二会は年に一度の特別な日かもしれない。

今年は冷え冷えとした空気を感じることはできなかったけれど、漆黒の奈良公園を久々に味わいながら、最終電車の待つ駅へと急いだ。

お水取りが終わったので・・・

奈良は今、春です。。。

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