カテゴリー「鉄道関係」の14件の記事

2009年7月21日 (火)

明知鉄道で岩村へ

Chikuma かれこれ30年ほど前の話である。

ワンダーフォーゲル部に所属していたので、長期休みは信州に出かけることが多かった。その頃の交通手段は旧国鉄の夜行急行がほとんどで、白馬方面なら「きたぐに」を、松本方面なら「ちくま」(写真はヒロイモノ)を利用していた。

ともに大阪駅を23時頃に出たと思うのだが、「ちくま」が信濃の国に入るのは、丑三つ時頃の中途半端な時間であった。電気機関車に牽引されたブルーの客車は、今の電車のような快適な座席ではなくて、背もたれが直角に屹立しており、とても眠りを誘うようなしろものではなかった。私はよく通路に新聞紙を敷いて寝転がっていたが、夜行急行の乗客、とくに旅する若者にとってはそれがごく普通の光景であった。

Aketi_2 信州に入る直前に恵那とか中津川とかの駅を通り過ぎるのだが、床から伝わる車軸とレールの振動でたびたび目が覚める。停車中に何気なく顔をあげると、ホームの片隅にあった明知線と書かれた案内板が、夏虫にまとわりつかれた蛍光灯の光で浮かび上がって見えたことがあった。

ひょっとしたらその頃は明智線と書かれていたかもしれないのだけれど、あの線が明智光秀の出身地に行く線なのかな?と、発車ベルも鳴らない静かな真夜中のホームを、ただぼんやりと見つめていたように思う。40kgを越える重いザックを横にして、長丁場の夏合宿を前にした不安なのか、あるいは青春独特の心の揺れなのか、とにかく気だるかった記憶だけが残っている。

それから約30年、恵那駅のホームに下り立ち、小走りで明知鉄道に乗り換えようとしている51才の自分がいた。明知線は旧国鉄から独立して第3セクターになっていた。

Aketi3 始発駅を出て山の中に入り、約30パーミル(30/1000)の急勾配の線路をどんどん登っていけば飯沼という比較的新しそうな駅に着く。この駅の標識に「33パーミル・日本一の勾配駅」と書かれてあったが、通常はこの勾配には駅は設置してはいけないらしい。

いろいろ調べてみると、当時の運輸省の立ち会いの元、特別に認められた新駅らしいのだが、駅周辺は緑ばかりで何もない。当然のことながら、この日の乗降客もいなかった。

Aketi4_2 Aketi6_2  トンネルを越え、今度は急勾配を下っていくと阿木駅に着く。何とこの駅構内に歯医者さんがあったのだが、下りて確認する時間がなかった。

懐かしい気持ちにさせてくれる農村風景の中を、気動車は腰を振りながら登っていく。その自転車なみのスピードが身体に心地よい。さざめく緑の稲穂が目に優しくて、非日常の世界へいざなってくれる。

Aketi5 恵那駅を出て半刻で今回の目的地、岩村駅に到着した。早朝5時半に家を出てから6時間の旅、本当にやれやれである。

なんかこう映画のロケに使えそうな、時代に取り残されたような、そんな趣のある駅舎だった。

そして駅の古ぼけた待合室で、30年前の自分が重いザックを背負って佇んでいるような、そんな光景も垣間見えたような気がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 1日 (月)

車窓絶景100選

Map 最近の本屋さんでは、鉄道地図をよく見かけます。これは道路優先の地図と違って、鉄道の駅名や路線が正確に記され、また車窓から見える風景が楽しめるように、川や山の名前も載せられているのがウリなのだそうです。

鉄ちゃんや鉄子(鉄道オタク)が増えてきているのでしょうか? それとも定年などでフリーになった団塊の世代が、昔のような鉄道の旅を夢見ているのでしょうか?

ワタシも鉄道の旅が好きなので、学研から出版されている全国版を1冊買い求めました。そして乗ったことがある路線をシコシコとライン引きしてみました。

Shasou_2 一方、新潮新書からは

「日本の鉄道 車窓絶景100選」

という本が出版されています。

こちらは写真集ではなくて、4人の鉄ちゃん&鉄子さんが、カンカンガクガクのうえ、絶景ポイントを100箇所に絞るまでのプロセスが書かれています。

そういう意味では、どこが落選したか、なぜ採用されたかがわかって興味深いですね。

Misuzu3 ワタシの生まれ育った奈良県がらみでは、近鉄大阪線の桜井~朝倉間が選ばれています。

名古屋・伊勢方面から近鉄で来るとき、榛原を越えると33パーミルの急勾配となって、長谷寺を右奥に見ながら奈良盆地に入っていくところですね。三輪山南面の棚田に癒されます。

もうひとつは正確には奈良県ではないですが、近鉄奈良線の生駒トンネルを越えたところの石切~枚岡間が選ばれています。

こちらの方は通勤や観光でご存知の方がかなり多いと思いますが、大阪平野が一望のもとなんですね。夕焼けも夜景もキレイですし、春は桜も咲き誇るところです。

写真は昨年の今頃に行った萩・長門付近の山陰線です。ここも選ばれていました。

Ekimei それと

大阪 「駅名」の謎 祥伝社

という本も買いました。

大阪にはけっこう難しい読み方の駅名が多いですが、飛鳥時代より港湾都市として栄えていましたので、1300年もの由来ある地が多いんですね。

こちらもぼちぼち読み始めています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

水了軒の八角弁当

2281 この土日は、またまた博多まで研修に行ってきました。

1ヶ月前と同じ手段を用い、しかも家を出るのもいつもの出勤時間と同じなので、行く前のけだるさみたいなのはありません。

ただ濃霧の影響によって電車が遅れてるとのこと。のぞみに間に合うのかなぁ…と気をもんだのですが、大阪府との府県境を越えると一気に霧が晴れ、予定通りに新大阪駅に着けました。

2283 大阪の駅弁といえば水了軒ですね。その中でも八角弁当は昔から有名です。

で、久しぶりに購入することにしました。先月も買う予定でしたが、大阪駅は改造中でお店がどこに行ったかわからなかったし、新大阪駅もワタシが覗いた売店には置いてなかったのでした。

でも今月は、新大阪駅の在来線構内で水了軒をハケーン! 木の折り箱に入った懐かしの味です。

2282 お昼前に見た広島駅直前の風景です。車窓から見えるのは新しい広島球場ですね。今度もドームじゃないのかな??

話を戻して、駅弁といえば昔は旅の楽しみのひとつでしたが、安いし種類が多いしで、今ではスーパーやコンビニで買われる方が多いのではないでしょうか? コンビニ弁当は、通常の駅弁の半額くらいだし、大きな駅なら構内にもコンビニあるし、チンもできますしね。

でも八角弁当の良さは、おかずが豊富で、そのどれもが手の込んだものであるということです。

思い出すまま列挙してみると、かまぼこ・焼き魚・卵焼き・昆布巻き・蕗・茄子・椎茸・白豆・ソラ豆・蒟蒻・海老・鴨ロース・ゴボウ・穴子鳴門巻・人参・筍・ウニ烏賊・しば漬けなど20種類近くも入っていました。しかもそのほとんどが和風に炊いたもので、いわゆるフライものやハンバーグ、生野菜などは入っていません。まぁ会席料理みたいな感じですね。

折り箱にこびりついた俵型の白米をお箸でこそぎ落としながら、米粒ひとつ残すことなく食べきりました。指先に伝わる木の感触というのはなかなかええものです。

2284 新大阪を出て2時間半後に博多到着です。

先月の記事にも書きましたが、ここからさらに博多南までの特別な新幹線があるんですね。

それと朝日新聞夕刊一面の連載記事は、今は鉄道関係です。昔の特急は運転席の窓の真ん中に仕切があり、それは「鼻筋」と専門家は呼ぶのだそうです。

そういわれてみると、乗ってきたのぞみよりもキリリと精悍な顔つきをしていますね。

2285_2

セコいワタシは旅先でも、駅のんよりも駅前の有名ホテルのトイレをちょこちょこ利用させてもらい、無料でリッチな気分に浸ってます(笑)。

で、ここは博多都ホテルですが、フロントロビーにお雛様が飾られていました。

そういえば九州はお雛祭りが盛んな土地でしたね。佐賀、柳川、飯塚あたりが有名らしいですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月17日 (日)

越前福井の鉄道

Soba  青春18きっぷの3回目の目的地は越前福井です。法隆寺-福井間のJR運賃は最短の京都回りでも往復7000円以上ですから、2300円の青春18きっぷは5000円以上もお得なんですね。さらに特急料金も入れると10000円以上トクですね。ただし特急は使えませんから、敦賀までうまく新快速電車を利用します。まぁ同じような考えの人がいるんでしょうか、お盆だからでしょうか、京都から乗った湖西線敦賀行きは結構混んでいましたwww。

敦賀で北陸線の普通電車に乗り換えると、約1時間で福井です。今回の目的地は一乗谷の朝倉氏遺跡ですから、ここで越美北線(くずりゅう線)に乗り換えです。

10時40分に福井駅に到着するも2時間待たないと次の列車がありませんwww。てか、9時6分の電車の後は12時49分まで電車がなく、空白帯が3時間43分もあるなんて、すごいローカル線ですwww。というわけで時間待ちの間、駅に近い食堂で、福井名物のソースカツ丼と越前おろしそばがセットになった定食をいただいてきました。

Siden_2 福井には福井鉄道えちぜん鉄道など、鉄ちゃんに人気のある電車が走っています。

何気なく駅前をブラついていると、お洒落な路面電車が走ってきました。よく見ると、電車の側面には高橋尚子選手がラッピングがされていました。何で福井に高橋尚子選手なんだろう?インタネで検索すると、岐阜で走っていた電車が福井に来たようなことが書いてありました。そういえばQちゃんは岐阜出身だったっけ?

Eiheiji3 次に目に飛び込んできたのが、永平寺行き特急バス乗り場でした。なんでも10分後にバスが来るとかで、あと1時間電車を待つよりいいか・・・と衝動乗りしてしまいました。

というのは永平寺~一乗谷は車で20分と、ガイドに書いてあったからです。距離にしたら10キロ少し、なら歩けるなぁ・・・と楽天的に考えてました。

Etumi1 詳細は次の記事で書きますが、永平寺から一乗谷まで炎天下の中、山越えで歩いてきました。一乗谷に着いた頃はへろへろでろでろ、テキトーに遺跡巡りと水分補給をしてきました。そして予定通り15時41分発の電車に乗ることができました。

最初は15時49分発と勘違いし、余裕を持って一乗谷駅に着いたとたん、電車が入ってきたのにはビックリしました。もし乗り遅れていたら、何もない田舎の駅で2時間も時間つぶしをしなければならないところでした。

Etum2 列車が一乗谷駅を発車したところです。手前の緑濃い山と奥に見える山の間がかつて朝倉氏が栄華を誇り、一万人もの人が住んでいたという一乗谷です。

歴史に「たら」「れば」がつくのはタブーですが、もし浅井朝倉連合軍が信長を打ち負かしていたら・・、あるいは上杉謙信や武田信玄が朝倉軍と組んで上洛していたら・・。本当に運命はわからないものですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月10日 (日)

おもちゃ電車といちご電車

Omoden_2 少し曇り空だった昨日、 和歌山の貴志というところに行ってきました。
和歌山駅から和歌山電鉄にのんびり揺られて30分のところです。
この路線はもともと南海の所轄だったのですが、車社会の世の中、利用者の減少などもあって、岡山の両備グループに経営が移されました。なんといっても電車のデザインが画期的になりましたね。
Omocha 行きに利用したのはおもちゃ電車で、木のぬくもりがする車内はとてもメルヘンチックです。
座席に木馬の頭がついていたり、ベビーベッドがあったり、陳列棚にプラモデルが飾ってあったり、 ガチャポンの自動販売機がズラリと並んでいたりします。
Omocha2 ガチャポンも100円とお手頃価格でした。でもキティちゃんとかアンパンマンとかは好みではないのですが・・・。
というわけで、オジサンが選んだのは、まりもっこりです(笑)。
車内のおもちゃ以外にも、有人の和歌山駅伊太祈曽駅ではいろんなグッズが売っていました。ネットでも購入可能です。
Kisi さて終点の貴志駅は無人駅なのですが、改札口には人だかりができています。
それは貴志駅の駅長が「たま」というネコだからです。TVでも何度も取り上げられましたから有名ですよね。 たま以外にもちびミーコという駅員もいてましたよ。ネコたちの世話をしているのは隣接する売店のご夫婦です。
Ichigo 帰りの電車は、白色にいちごマークのいちご電車でした。こちらの車内は余計なものがなくてシンプル。 いちご狩りのシーズンには賑わうのでしょうね。

昨日利用した時は、乗客の多くが観光客だったのですが、これで経営が持ち直してくれるといいですね。
和歌山-貴志は片道360円。といっても貴志駅は無人駅。行かれるなら一日乗車券650円がお得ですよ。

そうそう、「たま」は日曜日はお休みですのでご注意あれ。
それと南海カラーの通常の電車も走っていますので、行かれる方はおもちゃ&いちご電車の運行状況をチェックしておいてくださいね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月28日 (月)

準備は播但線??

Bantan1 青春18きっぷを使って、今度は但馬の国の竹田城に行ってきました。
まずは姫路まで新快速でイッキに行って、
ここで2両編成の播但線に乗り換えて寺前へ。車両側面は生野銀山のペインティングがなされていました。

ローカル線だからのんびり座れるやろ~と思っていたら、まるまる一両は幼稚園の園児様ご一行に車両ジャックされ、遠足シーズンの環状線みたいでした・・・。

Bantan2_3 寺前で1両編成の和田山行きに乗り換え。例の園児様ご一行も乗り換えなので車内は2倍の密度に・・・。引率の先生も大変です。

列車は播磨の国を出て但馬の国に入ります。分水嶺を過ぎると、再び田園地帯に入ります。前方の山の頂上には何かしら人工物のようなものが見えていましたが、あれが目的の竹田城でしょう。

Takedast 姫路からはちょうど1時間半、大阪からは2時間半で竹田駅に到着。

駅舎の背後に見えるのが竹田城のある標高354mの虎臥山です。山頂には石垣が見えるのがおわかりでしょうか?

2時間後に来る和田山行きの列車の時刻を確かめ、登山口に向かいました。お城については次の記事で報告します。

Takedahukan 今度は逆にお城から見た竹田の町で、手前が播但線、町を挟んで向こう側が円山川です。

すぐ南が播磨の国、ここが但馬の国、東の山の向こうが丹波の国と、軍事上の要衝の地に築城されたことがわかります。

Bantan3 山を下り、再び播但線の人となって和田山に向かいます。山頂より線路が見えていたことを思い出して無人の車掌室へ。冷房の効いた車内から、遠ざかっていく城址を見つめていました。

和田山駅で但馬牛の駅弁を買おうと思っていたのですが、駅の売店には、当分閉鎖します・・という貼り紙が・・・。特急の窓は昔のように開かないし、コンビニが乱立しているこの時代、地方駅の駅弁は百貨店の駅弁イベントでしか買えなくなるのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月21日 (月)

関(せき)をしても一人旅 その1

Narast 自由律俳人・尾崎放哉の「咳をしても一人」のパクリのトホホなタイトルで申し訳ないです。

今回は青春18きっぷを利用して、三重県は関宿に行ってきました。この切符は1日2300円で、全国のJRが乗り放題になります。ただし特急・急行はダメですが・・。

で、自宅最寄り駅の法隆寺駅を出発。写真は先日高架になったばかりの奈良駅ですが、いつも見上げていた旧駅舎の屋根が眼下に見えて、少し違和感を覚えました。

Tugest 加茂駅で関西線亀山行きに乗り換えです。カヌーを漕ぎに笠置駅まではちょこちょこ来たことがありますが、それ以東は40年ぶりです。たしか中1の頃、鉄道研究会の活動で加太(かぶと)駅に行った覚えがあります。正確にはスイッチバック式の中在家信号所へ、D51重連(前と後ろがSL)の撮影に行ったのですが、当時の記憶はほとんどありません。

記憶の糸を手繰り寄せているうちに、2両編成のワンマンカーは伊賀盆地を通り抜けて柘植駅に到着しました。

ここで草津線の列車待ちで時間調整。ようやく発車した後、今日の目的地「関」に向かいます。での見聞録は別の記事をお読み下さい。

Kibukawast 帰りは柘植駅から草津線に乗り換えて、伊賀の国から近江の国に入りました。ローカル線とはいえ冷房が効いていて、車窓は風にそよぐ青い稲穂が見えて、退屈することなく旅を続けることができました。

写真は途中の貴生川駅です。ここは信楽高原鉄道への乗換駅で、列車側面には信楽焼の名物タヌキがペインティングされていました。

Uji1 今度は草津駅で東海道線に乗り換えです。京都駅でいったん下車して、駅ビル内の手塚治虫ワールドへ。

京都駅ビルも今までほとんど通過するだけでじっくり歩いたことがなかったので、今回は中を歩き回ってみました。できた当初は景観問題で叩かれまくった京都駅ビルですが、デザイン的には結構面白い構造でした。

で、次は奈良線の人となって宇治に向かいます。

平等院付近をテキトーに散策し、伊藤久右衛門で抹茶ロールケーキを買って、再び奈良線の快速に乗り込みました。

Koriyamaj 京都~奈良間の国道24号線は、奈良市に住んでいた頃は家族ドライブで何度も通った道ですが、車窓から見えるその道と昔と変わらぬ風景を、懐かしい目で追いかけていました。

木津川を渡り平城山を越え、地元の佐保川をまたげば8時間ぶりの奈良駅に帰還です。高架になっている分だけ興福寺の五重塔や若草山の風景が、より近くに感じられるようになりましたね。

ここで大阪駅行きの電車の人となり、結局今日は延べ8回の乗り換えをしてきました。

郡山駅大和小泉駅を走行中に、ちょうど夕陽が生駒山に沈もうとしていて、なかなか感動的なエンディングでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月23日 (月)

みすゞ潮彩号

Misuzu2 今日3つめの記事です。前の2つの記事の読み忘れにご注意下さい。

さて夕方から福岡で学術講演会があるので、から博多に向かうのですが、移動手段に山陰線を利用しました。というのは長門市で乗り換えると、みすゞ潮彩号という展望車両のついた列車に乗れるのです。

Misuzu1 この列車の1号車は一般車両で、2号車は展望車両になっています。ただし指定席510円が必要です。

定員44名にもかかわらず、本日の乗車人数は4名・・・。京阪神でも結構ポスターが貼られている割には、利用者が少なすぎるような気がしないでもないですが・・・。

Miuzu2 展望車両の特典は、土日?には紙芝居のイベントがあることでしょうか?本日のお話は武蔵と小次郎の決闘でした。

他の特典としては、列車に売店がついていることです。おやつや飲み物やお土産なども売っているのですが、誰かが購入しているのを見た覚えがありません。売店のおねぇちゃんは2時間も何もすることがなくて、ヒマだったでしょうね・・・。

Misuzu3 この列車は土日は快速になります。その分、ビュースポットでは数分間停車してくれますから、車窓からの景色を楽しむことができます。

指定席から見える日本海はこんな感じでした。あいにくの雨模様だったので、水平線は煙って見えませんでした。

Misuzu4

長門市を出て約2時間で下関到着です。ここで山陰と山陽が合流するんですね。なんか急に都会に出てきたような印象を受けました。

ちなみにみすゞ潮彩の「みすゞ」とは、仙崎で生まれ育った詩人・金子みすゞの名前から取っています。駅のホームにある似顔絵の人がそうですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月28日 (月)

路上を走る地下鉄?

Photo_4 さて昨日の話の続きです。

延暦寺から京阪三条に行くバスもあったんですが、わざわざ坂本に下りた理由の一つはお蕎麦屋さんです。京阪坂本駅近くに有名なお蕎麦屋さんがあると聞いて行ってきました。

Keisin4 その「鶴喜そば」は広い道路から奥に3軒入ったところにあります。角にも別のお蕎麦屋さんがあるので気をつけてくださいね。そういえば司馬遼太郎も「間違って入ってしまった」と「街道をゆく」に書いてたような気がします。建物自体は趣があり11時過ぎでも結構混んでいましたが、お味の方は、やはり信州や東京の方がwwwww。

満腹になった後は、坂本駅から京阪・石山坂本線に揺られて浜大津まで向かいました。ここで乗り換えて京阪三条に向かいます。

Keisin1 先の記事に書いたとおり、小学生の頃、母に連れられて大津の叔母の家に行くのによくこの電車を利用してました。

今は京都市営地下鉄に乗り入れるお洒落な新型車両になっていますが、コンパクトな車体は昔のままです。

Keisin2_2 は路面電車のように併用軌道として路上を走ります。道路には信号もありますから、電車もそれにあわせて停まってたような気もしますが??

それと昔は2両編成だったのに、新型車両は運転手のみ乗車の4両編成です。写真は駅を出て路上を走り出したところですが、車掌がいないのがおわかりでしょうか?それと車との接触事故はないんだろうかと心配してしまいます。

Keisin3 手前で道路から離れて専用軌道に入ります。ここから方面までは、音をたてながら急勾配の軌道を右左に曲がり、登山電車のようにを越えていきます。

御陵までは昔は路上を走っていました。蹴上の駅で降りて、南禅寺疎水べりをよく歩きました。今では地下に潜って京都市営地下鉄になっています。地下鉄なのに路面電車になったり登山鉄道になったりするのは全国でココだけらしいですね。

Photo_5 拾いモノの画像ですが、ワタシがまだ小学生で近鉄奈良駅が地上駅だった頃、奈良駅~油阪は路上を走っていたことを思い出しました。写真は上本町行きの特急(今の快速)です。地下に潜った現在は油阪駅はなくなってしまいましたが・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

路上を走る地下鉄?

Photo_4 さて昨日の話の続きです。

延暦寺から京阪三条に行くバスもあったんですが、わざわざ坂本に下りた理由の一つはお蕎麦屋さんです。京阪坂本駅近くに有名なお蕎麦屋さんがあると聞いて行ってきました。

Keisin4 その「鶴喜そば」は広い道路から奥に3軒入ったところにあります。角にも別のお蕎麦屋さんがあるので気をつけてくださいね。そういえば司馬遼太郎も「間違って入ってしまった」と「街道をゆく」に書いてたような気がします。建物自体は趣があり11時過ぎでも結構混んでいましたが、お味の方は、やはり信州や東京の方がwwwww。

満腹になった後は、坂本駅から京阪・石山坂本線に揺られて浜大津まで向かいました。ここで乗り換えて京阪三条に向かいます。

Keisin1 先の記事に書いたとおり、小学生の頃、母に連れられて大津の叔母の家に行くのによくこの電車を利用してました。

今は京都市営地下鉄に乗り入れるお洒落な新型車両になっていますが、コンパクトな車体は昔のままです。

Keisin2_2 は路面電車のように併用軌道として路上を走ります。道路には信号もありますから、電車もそれにあわせて停まってたような気もしますが??

それと昔は2両編成だったのに、新型車両は運転手のみ乗車の4両編成です。写真は駅を出て路上を走り出したところですが、車掌がいないのがおわかりでしょうか?それと車との接触事故はないんだろうかと心配してしまいます。

Keisin3 手前で道路から離れて専用軌道に入ります。ここから方面までは、音をたてながら急勾配の軌道を右左に曲がり、登山電車のようにを越えていきます。

御陵までは昔は路上を走っていました。蹴上の駅で降りて、南禅寺疎水べりをよく歩きました。今では地下に潜って京都市営地下鉄になっています。地下鉄なのに路面電車になったり登山鉄道になったりするのは全国でココだけらしいですね。

Photo_5 拾いモノの画像ですが、ワタシがまだ小学生で近鉄奈良駅が地上駅だった頃、奈良駅~油阪は路上を走っていたことを思い出しました。写真は上本町行きの特急(今の快速)です。地下に潜った現在は油阪駅はなくなってしまいましたが・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月15日 (土)

通勤路のオプションが増える

3月15日におおさか東線が開業しましたので、職場の最寄り駅が京橋であるワタシは早速利用してきました。

Photo_5 この線は元々あった城東貨物線の敷地を利用したもので、大和路線久宝寺駅と学研都市線放出(はなてん)駅の10kmほどを結びます。

で、ゆくゆくはさらに北へ伸びて新大阪駅まで通じるそうですが、住んでいる地域によっては、乗り換えの手間がいらず便利な路線になるでしょう。

Photo_2 Photo_3

さて法隆寺駅から京橋駅まで通勤しているワタシにとっては、乗り換えなしで京橋駅まで行けて、なおかつ時間が短縮するというメリットがあります。

車両は学研都市線東海道線でお馴染みのステンレス車体にブルーのラインのものでしたが、いつもは大和路線を走らない車両なので少し新鮮に映りました。

各々の駅のホームでは、カメラを手にしている鉄ちゃん(鉄道ファン)が数名以上待ち受けていました。

Photo_4 写真は久宝寺駅を出て高架に上がり、加美駅手前で方向を東に変えるところです。左下に写っているのが天王寺方面に向かう大和路線です。

ただ今のところ、法隆寺駅からの直通快速は朝夕の数本だけですので、乗れる回数はかなり制限されますが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

湖北の旅(長浜・彦根)

従兄弟の子が、某大学の附属中学に合格したので、そのお祝いに雪を見せてあげようと湖北行きを計画しました。ところがその前々日に奈良・大阪ではドカ雪が・・・。(@_@) 雪を見る楽しみが半減??てな感じで今日を迎えました。(^^;)

Photo その子を近鉄・高の原で拾い、京都でJR新快速電車に乗り換えて一路長浜へ。白い比良山系を遠目に見ながら電車は北上していきますが、雪は全然ありません。どうやら先日の雪は北陸方面からもたらされたものではなく、太平洋側を進んできた低気圧からの贈り物だったようです。

京都から約1時間で長浜に到着。さっそく開店時間直後の長浜浪漫ビールでビール&ランチをいただきました。

Photo_2 このお店は駅から北国街道を南に下っていったところにあるのですが、東西に交わる路地を通過するたびに白い伊吹山が見え隠れします。

長浜浪漫ビールの北側の筋には、風情のある蔵が並んでいます。木でできた壁面をよく見ると、なにやら規則正しく穴が開いていますが、これは船の底板を使って作られていて、「舟板塀」というのだそうです。規則正しい穴は釘穴だったんですね。

Jランチのあと長浜城を見学して、再び慶雲館前の踏切に戻りました。今日はC56型蒸気機関車に牽引された「北びわこ号」が走る日です。実は中学時代のワタシは鉄道研究会に属していて、あちこちでSLの写真を撮りました。その現像代の高さに、母親にこっぴどく叱られたのを今でもよく覚えています。

Photo_3 次は北国街道を北上して「黒壁スクエア」へ。キレイなガラス食器がたくさん並んでいたのですが、小学生はそんなのに興味を示すはずもなく、じっくりと鑑賞することはできませんでしたwww。

北国街道といえば、長浜をおさえると、北陸道から攻めてくる敵を十分牽制できますから、秀吉がこの地に城を築いたのも納得させられますね。湖北はそういった意味で、交通・軍事上のポイントでした。石田三成は北陸だけでなく、さら東からの敵にも睨みをきかせられる彦根・佐和山城の城主となったのですが、関ヶ原の戦い後は徳川軍団の井伊家が佐和山城主となりました。井伊家は新たに彦根に城下町を作って、佐和山城から移ったようです。

Photo_5 再び電車に乗ってその彦根城に向かいます。天守までは結構キツイ坂道が続きます。この廊下橋は敵が攻めてきたときに落とせる構造になっていて、まさに要塞という感じです。

Photo_6 Photo_7 ようやく天守につきました。このお城は大津城、長浜城、佐和山城などの遺構を移築して建てられたそうです。昭和に再建された他の鉄筋コンクリートのお城とは違って、彦根城は江戸時代の建物ですから(もちろん国宝)、その内部も価値があります。写真は曲がった木を上手く利用した梁です。

J_2 Photo_8彦根といえばゆるキャラ「ひこにゃん」ですね。土日祝日の決められた時間帯に出現してくれるのですが、撮影被写体としてひっぱりだこでした。

う~ん、癒されますね~!ちょいメタボだけれどwww。

ちなみに井伊家が率いる軍団の甲冑のシンボルカラーは赤色(赤備え)だったそうです。

余談ですが、井伊大老の曾孫の井伊直愛氏は9期に渡って彦根市長をされていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月24日 (土)

大仏鉄道の跡を行く

小学校の頃、家の近くに「大仏駅」というのがあったと級友が言っていましたが、その時は半信半疑でした。しかし大きくなってから、関西本線木津を経由せず、加茂から奈良山を越えて最短距離で奈良駅に向かっていた時期があったことを知りました。

その名も大仏鉄道で、その詳細は大仏鉄道研究会の公式HPや木津川市のHPでも知ることができます。大仏鉄道廃線跡は観光ガイドなどには載っていませんので、資料は事前にプリントしておきましょう。

この路線は加茂駅~奈良駅を約10kmの最短距離で結んでいたそうですね。なにぶん山越えになりますので、いざとなれば路線バスにエスケープできるように、木津駅から奈良駅に向かって歩くことにしました。それと写真はすべて30万画素数の携帯で撮りましたから、たいしたものはないのですが・・・。

Photo さて木津駅ですが、いつの間にか高架駅になっていて、さらに東口も出来ていました。それと木津町加茂町山城町と合併して木津川市になっていたのですね。知りませんでした・・・。

ほんのちょっと前までは、駅東側は出口がないせいか、山すそまで田圃が広がるのどかな風景だったように思います。でも今は交通至便なこの駅からは京都・奈良のみならず、学研都市線に乗れば、尼崎、宝塚、新三田まで行くことができるんですね。

Photo_2 東口から出て、木津高校のある丘陵を加茂方面に向かって回っていきます。

後ろを振り返れば近代的な木津駅が見え、各方面からの電車が頻繁に発着しています。ワタシが学生の頃は、片町線(今は学研都市線)は1時間1本ほどで、それも1両か2両のディーゼル車だったことを思うと、時の移り変わりを感じますね。

Photo_3 Photo_4 鹿背山の集落の土塀に小さな秋を見つけました(左写真)。

ワタシは地図をほとんど見ずに気ままに歩くのが好きです。迷うもまた楽し・・と適当に歩いていると、大和路線(関西本線)のトンネルを越えたところにある鹿背山不動尊付近で道標を見つけました。

ここから大仏鉄道の路線跡を歩くことになります。今は一車線の車道になっていますが、トンネルのように覆い被さる木々から漏れる秋の陽射しがとても心地よい道でした。

Photo_5 美加の原カントリークラブ(ゴルフ場)の入口を過ぎると、すぐに左へ下る道があります。小さな道標がありますので見落とさないよう注意してください。田圃の中の小さな道を歩いていくと、下は石積み、上は煉瓦の可愛らしいトンネルがありました。

これは梶ヶ谷隧道というトンネルですが、鉄道路線のトンネルではなく、汽車はこの上を走っていたそうです。

Photo_6 元の道に戻り、さらに進んでいくと、やはり見逃しそうな小さな橋があります。少し進んだ先に、左に下りる小道があります。回り込んでみるとやはり石積みと煉瓦で出来た、趣のある構造でした。先ほどのトンネルをくぐって左へ折れても行けるようです。

この石と煉瓦と木でできた橋は赤橋だそうで、やはり秋の木漏れ日は心にも優しく降り注ぎます。

Photo_7 Photo_8 大仏鉄道は明治31年に開通しましたから、今から110年前の建築物になるんですね。ガソリンエンジンによる自動車が初めて輸入されたのは明治33年ですから、人員や貨物の輸送手段として、鉄道の存在意義はとても大きかったのでしょうね。

そんな歴史を内に秘めながら、これらの建築物は里山の風景に溶け込んでいます。

Photo_15 赤橋を過ぎたあたりから少し勾配がキツくなって、梅谷区公民館の前に出ます。

もしこの勾配が当時と同じものなら、蒸気機関車はかなりの苦渋を強いられたかもしれません。木津を経由する路線ができた影響も加わって、開業して10年も経たないうちに廃線になったのもやむを得なかったのかもしれません。

Photo_10 滅多に道に迷わないワタシですが、下梅谷の交差点を過ぎてからは目が(?_?)になってしまいました。

高校時代にバイクの免許を取りましたので、奈良市の自宅から当尾浄瑠璃寺方面にはよく出かけていました。その走り慣れた道を20年ぶりに訪れてみると、里山の間を縫うように走っていた道が、いつの間にか跡形もなく消え、梅美台というニュータウンに生まれ変わっていました。

太陽や地形で方角を読みとり、ニュータウン内を走るバスの行き先に留意しながら、何とか奈良方面に向かう道を見つけることができました。写真はニュータウンの給水塔ですが、里山の風景に少し不釣り合いですね。。。

京都府と奈良県との府県境を越えると、そこは昔と大きな変化のない道になって少し安心しましたが、相変わらずキツい勾配の上り下りが続いています。

Photo_11

元明天皇元正天皇の御陵を過ぎると登り坂のピークがあり、見上げるとはるか高いところに橋が架かっています。

木津川町のHPには、昭和31年までここに黒髪山トンネルがあったと書かれていますが、昭和33年生まれのワタシが小学校低学年の頃にトンネルがあったことははっきり覚えていますから、昭和41年あたりの間違いでしょう。祖母らとビクビクしながら、真っ暗なトンネルをくぐり抜けたこと、近所の人の柴刈り?のお供として、この山に来たことなどをよく覚えています。そうそう、山を切り開いて橋が出来たとき、母と姉と3人でさっそく渡りにきたこともありました。

Photo_12 Photo_13 トンネルは幅が狭かったですから、車社会が始まりかけた高度成長期に黒髪山が切り開かれたのは当然の流れだったかもしれません。トンネルを出たところには奈良ドリームランドという、関西有数の遊園地がありましたが、残念ながら昨年に閉園してしまいました。

これだけの広い跡地は今後はどうなるのでしょうか?

Photo_14 鴻池運動公園前を過ぎると、ワタシが生まれ育った法蓮の町に入ります。

以前の記事にも書きましたが、ワタシは15才まで法蓮の町で育ちましたので、何か懐かしいような、少し恥ずかしいような気分になります。

一条通にある交番が大仏駅のあったところだそうで、その先の奈良方面に大仏鉄道記念公園があります。大仏線はここから佐保川を渡って奈良駅に向かっていたそうです。

それと鴻池から大仏駅の区間も勾配がキツいので、駅にピタリと停めるためのブレーキ操作に苦労したようですね。

船橋通り商店街を抜けてJR奈良駅に着いたのは、木津駅を出てからちょうど3時間後でした。その間ほとんど休憩していませんでしたので、駅前の食堂で丼物をいただいてから帰りました。

Photo_17 そうそう戦前には、法隆寺駅から平端駅を経由して天理まで続いていた天理軽便鉄道という路線があったそうです。

写真はその路線跡ですが、今度はこの線を辿って歩いてみることにしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 8日 (月)

晴れた午後には遠く 讃岐富士が見える・・・

Photo 駅のポスターに「鉄道の日記念 乗り放題きっぷ」というのがあって、JR西日本管内なら3000円で乗り降り自由だそうです。

で自宅最寄り駅の法隆寺駅から片道約1500円の範囲を調べると、西は西明石新三田、北は比良野洲、南は関西空港和歌山市で、それより遠くへ行けば、往復でペイできることになります。

で、行きたいなぁ・・と思っている地域の運賃と時間を検索したのですが、普通車(新快速含む)しか使えませんから、金沢で5時間、広島・宮島で8時間、に至ってはなんと11時間以上もかかり、とても体力が持ちません。

ということで、新幹線が岡山まで開業して「ひかりは西へ」と謳われた中学時代、家族旅行で吉備路を旅行したことを思い出し、30年ぶりに鷲羽山+吉備路の名所を訪ねることにしました。ちなみに岡山・倉敷ぐるりんパスでは12000円の設定なので、3000円でこれらの地域を回れるのは大変お得なんですね~!(新幹線は使えませんけど・・)

Photo_2 Photo_3 まず相生まで新快速に乗り、そこから岡山までは山陽本線の普通列車です。新快速を上手に使うと、大阪から岡山まで2時間半で行けちゃうんですね。で、岡山駅は四国山陰方面の乗換駅でもあるんですが、ごらんのように「アンパンマン列車」も走っています。

Photo_4 児島駅で下車し、鷲羽山に向かおうとするもバスの接続が悪く、またJR瀬戸大橋線は新しい路線ですので、駅舎は古い町並みから少し離れています。また日本のジーンズ発祥の町でもあるのだそうですが、その工房なども駅から少し離れており、バスの時間までの中途半端な時間をぼーっと過ごしていました。

ようやく鷲羽山と児島市街を巡回する「とこはい号」が来たので、下津井の港を経て鷲羽山に向かいました。

Photo_5 Photo_6

第2展望台のバス停からテクテク歩いて鷲羽山の山頂へ。空は曇っていて、シャープな写真は撮れませんでしたが、海のない県に住むワタシにとって、瀬戸内海の壮大なパノラマは心から癒されます。

Photo_7 Photo_8 山陽本線は広島まで乗ったことがあるのですが、海が見えるのは須磨と尾道以外はあまりなかったように思います。やはり瀬戸内海は交通の要所として、はるか古代より陸路よりも海路が頻繁に利用されていたのでしょうね。眼下の海を見下ろすと、任那日本府、遣隋使、防人、源平の戦い、村上水軍などいろいろな史実が思い起こされます。

Photo_9 Photo_10 再び岡山駅に戻り、吉備線に乗り換えです。この路線は旧山陽道沿いに走り、沿線には吉備津神社吉備国府跡備中国分寺備中高松城などがあり、また古墳も多く見られます。

途中下車はできませんでしたが、吉備津神社は桃太郎伝説のもととなる吉備津彦命が祀られていますし、また鬼退治に向かったとされる鬼の城も車窓から見ることができます。どうやら鬼は新羅から来た渡来人のようですね。大和朝廷との政争が日本昔話になったのでしょうか。

それと備中高松城は秀吉の水攻めで有名ですね。本能寺の変があった頃は、秀吉はちょうど毛利と対峙している最中でした。信長の死を毛利方に知られないよう高松城を陥とし、一気に大阪・京都に戻った話(中国大返し)も有名ですね。

Photo_11 Photo_13  さて次の目的地は備中国分寺です。最寄り駅を車掌さんに聞くと「わかりませんねぇ・・」と言われました。行き当たりばったりの旅ですからガイドブックのような気のきいたものは持っていません。ネットで調べたとき、服部駅が一番近かった記憶があったので下車しました。タクシーどころか、駅前広場もない田圃の中の駅でした・・。

Photo_19 Photo_20 3kmほどの道を歩いてようやく到着。黄金色に染まる稲穂の向こうに塔が見えたときは、ここまで来てよかった・・・とつくづく思いました。彼岸花やコスモスなどの秋の花とのコントラストがとても美しくて、日本の原風景を見たような気がしました。

Photo_21近くに 国民宿舎があったので総社駅までの交通の便を聞くと、数少ないバスは1時間後ということです。それだと大阪には新幹線で帰らないといけないことになります・・・。

総社駅までは歩くには遠すぎるということなので、来た道を早足で戻ることにしました。児島駅でもらった時刻表では30分後に岡山行きの電車があると書いてありましたから。

Photo_18すっかり陽が落ちた服部駅にどうにかたどり着き、電車に間に合うことができました。岡山駅で姫路行きの山陽本線、姫路からは新快速に乗り換えです。ここで寝てしまっては新快速電車は米原・長浜まで行ってしまいます(笑)。

持参した専門書を読みながら、心地よい疲労感に浸れた旅でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)