小学校の頃、家の近くに「大仏駅」というのがあったと級友が言っていましたが、その時は半信半疑でした。しかし大きくなってから、関西本線が木津を経由せず、加茂から奈良山を越えて最短距離で奈良駅に向かっていた時期があったことを知りました。
その名も大仏鉄道で、その詳細は大仏鉄道研究会の公式HPや木津川市のHPでも知ることができます。大仏鉄道廃線跡は観光ガイドなどには載っていませんので、資料は事前にプリントしておきましょう。
この路線は加茂駅~奈良駅を約10kmの最短距離で結んでいたそうですね。なにぶん山越えになりますので、いざとなれば路線バスにエスケープできるように、木津駅から奈良駅に向かって歩くことにしました。それと写真はすべて30万画素数の携帯で撮りましたから、たいしたものはないのですが・・・。
さて木津駅ですが、いつの間にか高架駅になっていて、さらに東口も出来ていました。それと木津町は加茂町と山城町と合併して木津川市になっていたのですね。知りませんでした・・・。
ほんのちょっと前までは、駅東側は出口がないせいか、山すそまで田圃が広がるのどかな風景だったように思います。でも今は交通至便なこの駅からは京都・奈良のみならず、学研都市線に乗れば、尼崎、宝塚、新三田まで行くことができるんですね。
東口から出て、木津高校のある丘陵を加茂方面に向かって回っていきます。
後ろを振り返れば近代的な木津駅が見え、各方面からの電車が頻繁に発着しています。ワタシが学生の頃は、片町線(今は学研都市線)は1時間1本ほどで、それも1両か2両のディーゼル車だったことを思うと、時の移り変わりを感じますね。
鹿背山の集落の土塀に小さな秋を見つけました(左写真)。
ワタシは地図をほとんど見ずに気ままに歩くのが好きです。迷うもまた楽し・・と適当に歩いていると、大和路線(関西本線)のトンネルを越えたところにある鹿背山不動尊付近で道標を見つけました。
ここから大仏鉄道の路線跡を歩くことになります。今は一車線の車道になっていますが、トンネルのように覆い被さる木々から漏れる秋の陽射しがとても心地よい道でした。
美加の原カントリークラブ(ゴルフ場)の入口を過ぎると、すぐに左へ下る道があります。小さな道標がありますので見落とさないよう注意してください。田圃の中の小さな道を歩いていくと、下は石積み、上は煉瓦の可愛らしいトンネルがありました。
これは梶ヶ谷隧道というトンネルですが、鉄道路線のトンネルではなく、汽車はこの上を走っていたそうです。
元の道に戻り、さらに進んでいくと、やはり見逃しそうな小さな橋があります。少し進んだ先に、左に下りる小道があります。回り込んでみるとやはり石積みと煉瓦で出来た、趣のある構造でした。先ほどのトンネルをくぐって左へ折れても行けるようです。
この石と煉瓦と木でできた橋は赤橋だそうで、やはり秋の木漏れ日は心にも優しく降り注ぎます。
大仏鉄道は明治31年に開通しましたから、今から110年前の建築物になるんですね。ガソリンエンジンによる自動車が初めて輸入されたのは明治33年ですから、人員や貨物の輸送手段として、鉄道の存在意義はとても大きかったのでしょうね。
そんな歴史を内に秘めながら、これらの建築物は里山の風景に溶け込んでいます。
赤橋を過ぎたあたりから少し勾配がキツくなって、梅谷区公民館の前に出ます。
もしこの勾配が当時と同じものなら、蒸気機関車はかなりの苦渋を強いられたかもしれません。木津を経由する路線ができた影響も加わって、開業して10年も経たないうちに廃線になったのもやむを得なかったのかもしれません。
滅多に道に迷わないワタシですが、下梅谷の交差点を過ぎてからは目が(?_?)になってしまいました。
高校時代にバイクの免許を取りましたので、奈良市の自宅から当尾の浄瑠璃寺方面にはよく出かけていました。その走り慣れた道を20年ぶりに訪れてみると、里山の間を縫うように走っていた道が、いつの間にか跡形もなく消え、梅美台というニュータウンに生まれ変わっていました。
太陽や地形で方角を読みとり、ニュータウン内を走るバスの行き先に留意しながら、何とか奈良方面に向かう道を見つけることができました。写真はニュータウンの給水塔ですが、里山の風景に少し不釣り合いですね。。。
京都府と奈良県との府県境を越えると、そこは昔と大きな変化のない道になって少し安心しましたが、相変わらずキツい勾配の上り下りが続いています。

元明天皇や元正天皇の御陵を過ぎると登り坂のピークがあり、見上げるとはるか高いところに橋が架かっています。
木津川町のHPには、昭和31年までここに黒髪山トンネルがあったと書かれていますが、昭和33年生まれのワタシが小学校低学年の頃にトンネルがあったことははっきり覚えていますから、昭和41年あたりの間違いでしょう。祖母らとビクビクしながら、真っ暗なトンネルをくぐり抜けたこと、近所の人の柴刈り?のお供として、この山に来たことなどをよく覚えています。そうそう、山を切り開いて橋が出来たとき、母と姉と3人でさっそく渡りにきたこともありました。
トンネルは幅が狭かったですから、車社会が始まりかけた高度成長期に黒髪山が切り開かれたのは当然の流れだったかもしれません。トンネルを出たところには奈良ドリームランドという、関西有数の遊園地がありましたが、残念ながら昨年に閉園してしまいました。
これだけの広い跡地は今後はどうなるのでしょうか?
鴻池運動公園前を過ぎると、ワタシが生まれ育った法蓮の町に入ります。
以前の記事にも書きましたが、ワタシは15才まで法蓮の町で育ちましたので、何か懐かしいような、少し恥ずかしいような気分になります。
一条通にある交番が大仏駅のあったところだそうで、その先の奈良方面に大仏鉄道記念公園があります。大仏線はここから佐保川を渡って奈良駅に向かっていたそうです。
それと鴻池から大仏駅の区間も勾配がキツいので、駅にピタリと停めるためのブレーキ操作に苦労したようですね。
船橋通り商店街を抜けてJR奈良駅に着いたのは、木津駅を出てからちょうど3時間後でした。その間ほとんど休憩していませんでしたので、駅前の食堂で丼物をいただいてから帰りました。
そうそう戦前には、法隆寺駅から平端駅を経由して天理まで続いていた天理軽便鉄道という路線があったそうです。
写真はその路線跡ですが、今度はこの線を辿って歩いてみることにしましょう。
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